2004年10月29日

 

Copy Wright : ぴー

?クリムゾンワールドへの潜入

 1977年、某都立高校に入学した私は、軽音楽倶楽部に入部し、ハードロック?バンドでボーカルを担当する事になる。そのころ私が聴いていたのは、自分達のバンドの音楽性に合致していた、ディープ?パープルレッド?ツェッペリンキッス等のハード?ロック系のグループのサウンドばかりであった。そんな私が、プログレッシブ?ロックの世界に入り込み、抜けられなくなるという状況は、高校三年生の時に、友人の勧めでU.K.のアルバムを聴いた事に始まる。U.K.の奏でる、オリジナリティー溢れるハイレベルで荘厳なサウンドに打ちのめされ、また、彼等の超人的な演奏能力に脱帽してしまったのだ。そして、その時私は、彼等のプレイする音楽が、プログレッシブ?ロックと呼ばれるジャンルである事を知り、まずはリスナーとしてその道を極めようと試み始めるのである。(U.K.のページ参照)
 U.K.の次に私が追いかけたのが、そのU.K.のジョン?ウェットンとビル?ブラッフォードが、かつて正メンバーであったキング?クリムゾンであり、それは私にとって未知の怪物であった。
 1974年の解散によって、既に幻となってしまっていたキング?クリムゾンという巨大恐竜を捕獲する為に、私は、まるでタイムトリップし、彼等が産声をあげた1960年代末期に辿りつくような心境で、彼等のデビュー?アルバムである『クリムゾン?キングの宮殿 In The Court Of The Crimson King』を入手した。
 まずサウンドを聴く前に、レコード店でそのジャケットを手に取って見た時、私は第一の衝撃に襲われてしまう。むろんその当時CDというものは存在せず、アルバムというと、アナログのLPレコードの時代であった。その約30cm四方の大きなジャケットに描かれていたのは、口を大開きにし、真っ赤な顔で何かに恐れおののくような表情をした、不気味な男のどアップだった。リアルに描写された、そいつの喉仏の奥の方から、今にもうめき声が聞こえてきそうな気がして、思わずぞっとしてしまった。ただジャケットを見ただけで、一種の恐怖心とその本編(楽曲)に対する、大きな期待とが入り混じる異常な興奮を覚えてしまった私は、数十分後、彼等のサウンドを聴き、生まれて始めて音楽によって人生観を変えられる程の大きな衝撃と感動を体験する事になるのである。
 アルバムの1曲目“21世紀の精神異常者…ミラーズ”は、冒頭に不気味な効果音が収められており、それが、ぞくぞくする程の緊張感を生み出し、これから始まる特殊な音楽体験を私に予感させた。
 そして、突然現れる大音響の攻撃的なイントロに導かれ、異様な音色のボーカルが過激な発声で意味不明ないくつかの単語を羅列する。その後曲は6/8拍子のリズムに乗せ、ハイテンションで印象的なテーマへと移行し、各楽器の斬新でフリーなソロの掛け合いを経て、メンバー全員による複雑かつ正確なユニゾンフレーズに突入する。その後再び先のテーマ~イントロに戻り、またあのボーカルが登場し、やがて、曲はプレイヤー全員入り乱れてのフリー奏法による強烈なブレイクを向える。当然私は、このあまりにもセンセーショナルなオープニング?ナンバーによって、もう既に特異なクリムゾン?ワールドに引き込まれてしまっていた。
 1曲目のエンディングから、間髪いれずに次の曲が始まるのだが、意外な事に2曲目の“風に語りて”は、1曲目とは正反対の雰囲気を持つ、爽やかでとても綺麗な曲だった。実は、このアルバムに収められている曲は、全てそれぞれの違うニュアンスを持っている。狂気、清涼感、絶望感、幻想、華麗???。そして、このアルバムを聴くと、一曲ごとに異なる種類の感覚が呼び起こされるのだ。しかもその全ての曲が、他に類を見ないクリムゾンだけのオリジナリィティーに満ちた世界なのである。
 『クリムゾン?キングの宮殿』を聴いて、たちまちクリムゾンの虜になってしまった私は、その当時既に発売されていた彼等の作品を、短期間で、リリースされた順に、全て聴いてしまう事になる。しかし正直言って、ファースト?アルバムと同レベルの鮮烈な衝撃を与えてくれる作品は、彼等の5枚目のアルバムである『太陽と戦慄 Larks`Tongues In Aspic』まで現れなかった。だがそれは、当時の私が、他のアルバムにもファースト?アルバムと同レベルの強烈なインパクトばかりを望んでしまっていた結果の盲目的で馬鹿げた見解であり、今冷静にそれぞれのアルバムのサウンドに触れてみると、1つの作品としての完成度は、どのアルバムも優れていて、彼等の演奏能力の高さと楽曲の素晴らしさに、深い感動を覚えることが出来る。
 「宮殿をレベルダウンさせた」と評論家にこき下ろされた、セカンド?アルバムの『ポセイドンのめざめ In The Wake Of Poseidon』も、クリムゾン的コンセプトは決して間違っていない。ただ、ファーストとセカンドには、次の決定的な違いがあることは私も認める。ファースト?アルバムにおいては、当時新進気鋭だったミュージシャン達の並々ならぬ勢いと、その桁外れの独自性を体感できた。そこには、バンドとして精神統一された上での凄みがあったのだ。ところが『ポセイドンのめざめ』では、臨時採用のメンバーが多かった事や、内部分裂等による精神のばらつきがサウンドににじみ出てしまっていて、アルバム全体が何処となくちぐはぐな仕上りになってしまっている。例えば、ファーストでは緻密なまでに音色に気を使い、ある時はアグレッシブに、ある時は優雅に、見事に楽曲にマッチしたドラムを叩いていたマイケル?ジャイルズが、セカンドでは、まるで別人の様に投げやりなドラミングをしているのだ。オカズもワンパターン、音色も雑なのである。『宮殿』でのジャイルズのドラムを聴いて、私は「ドラムという楽器もこんなに雄弁になれるんだ!」と、感激したものなのに。(地味かもしれないが、“ムーンチャイルド”における、タムの入れ方の絶妙さは、何度聴いても感心してしまう。)
 そんな訳で、セカンドアルバム『ポセイドンのめざめ』は、ロバート?フリップとピート?シンフィールドによる素晴らしい名曲と、しっかりとしたコンセプトを持ちながら、バンド?メンバーの意思統一の欠如によって、作品のメッセージが聴く者に上手く伝わらないという、惜しい結果を残してしまった作品なのである。現に、1976年にリリースされたクリムゾン初のベスト『新世代への啓示 A Young Person’s Guide to King Crimson』の選曲において、ロバート?フリップは、全15曲の中に3曲も『ポセイドンのめざめ』からセレクトしている。ファーストの“21世紀の精神異常者…ミラーズ”を外し、“キャットフード”を選んでいるのだ。この事からも、『ポセイドンのめざめ』は名曲の宝庫だった事が解かる。尚、グレッグ?レイクも、『ポセイドンのめざめ』がリリースされる頃には、もうあのスーパー?グループ、EL&Pを正式に結成している。やはりアルバム収録中は、心ここにあらずだったのだろうか?
 そして、3枚目『リザード Lizard』、4枚目『アイランド Islands』では、さらに衝撃度はダウンしていて、アルバムを出すごとにサウンドがおとなしくなっていった感があるのは確かである。しかし、明らかにこれらのアルバムも、比類無きキング?クリムゾンの世界であることは間違いない。
 ここで私は、ロバート?フリップが追い求め、実践し続けていた、大きな2つの試みがあることに注目したい。1つは、ロック?ミュージックにおける究極の即興演奏へのチャレンジである。このことは、アルバム製作にあたり、キース?ティペットをはじめとするジャズ?ミュージシャン達をゲストとして起用している事でも証明される。クリムゾンは、ライブにおいては、デビュー当時よりインプロビゼーションにかなりの比重を置いていたという事実がある。しかし、世に残す“ロック?アルバムというコンセプトの完成体”の中で、彼等のように、あそこまで延々とジャズ的ニュアンスも含めたインプロビゼーションを投入するというのは、正に実験的な事であった。そして、このインプロビゼーションにおけるメンバー間の精神の融合、統一というテーマは、1974年の解散直前にリリースされるアルバム、『レッド Red』まで引き継がれることとなる。
 そしてもう一つの試みは、崇高な精神から醸し出される、あるいは地球の、自然界の、はたまた宇宙空間に存在する“美”の追究である。そう言えば『リザード』のなかで、イエスのボーカリスト、ジョン?アンダーソンが唄う“ルーパート王子のめざめ”は、「クリムゾン?サウンドに彼の歌は合わない。」と酷評されたが、私は実に良くできたメルヘンティックで美しい曲だと思う。イエスのナンバーと比べると、明らかに低いキーで歌うアンダーソンの声は、ある意味ミステリアスで、おとぎ話のオープニング?テーマのようなこの曲の雰囲気をうまく印象づけているし、学校の教科書に載ってもおかしくないくらい、メロディアスで華麗な旋律は、うっとりしてしまうほどの素晴らしい出来映えだと思う。この曲の美しさが理解できなかった評論家達は、「イエスのボーカリストが、イエス?ミュージックの正反対に位置するような、クリムゾンの世界にマッチするはずがない。」という、真実を妨げる愚かな固定観念を持っていたのだろう。
 さて、今から書く事は全くの余談だが、実にマニアックで面白い逸話なので、『リザード』の事に触れているタイミングの中で無理やり記しておく。西洋の古い童話のブック?カバーのような、美しいデザインの『リザード』のアルバム?ジャケットには、明らかにビートルズの4人と思われる人物が描かれていて、このアルバムの“ハッピー?ファミリー”という曲の中でも、別名で彼等の事が歌われているのだそうだ。この曲の作詞をしたピート?シンフィールド自身が、「ビートルズの解散に関した詞だ。」と言っているらしい。尚、ジャケットの絵の中でジョン?レノンらしき人物が持っている壷から顔を出しているのは、オノ?ヨーコらしい。歌詞の内容等も詳しく紹介したいところだか、そうすると余談の域を出てしまうので、それは又の機会に???。
 では、話を戻そう。“美”の追究というテーマについてだが、彼等の4枚目のアルバム『アイランド』において、その楽曲はついに極限まで優美に、そして、癒し系音楽とも呼べるまでのスタイルに変化している。このアルバム中の何曲かは、既成概念から見たロックの定義としての最低限必要な骨組みすら無くなってしまっていたのだ。そして、それがクリムゾン?ミュージックにおける“美”の追求の到達点であったからこそ、次のアルバム『太陽と戦慄』において“21世紀の精神異常者”級のセンセーショナルな楽曲を世に送り出すことができたのではないか?毎回同じレベルのテンションのアルバムを出し続ける事も凄いだろうが、ある過程を経て、再度そのレベルに回帰できるというのも物凄い事だと思う。しかも、数年を経た結果の時代の移り変りというものを背景とし、確実に進化を遂げた姿で…。
 『太陽と戦慄』の世界は、クリムゾン史上最強のメンバーによって創造された。特に、パーカッションのジェイミー?ミューアの存在感は計り知れず、リスナーを、時としてエキゾチックな、時として奇怪な、時として破壊的な彼独特のサウンド?ワールドに誘ってしまう。デビッド?クロスが奏でる、哀愁に満ち、枯れた音色のヴァイオリンも、この頃のクリムゾン?サウンドの特色となっているし、ジョン?ウェットンの重厚なベースや叙情的な歌声も素晴らしい。そして、イエスからやって来たビル?ブラッフォードは、複雑な変拍子も独自の解釈で表現し、完璧なまでに楽曲にマッチしたフレーズと音色で素晴らしいドラミングを披露している。ブラッフォードのクリムゾンにおけるドラムを聴くと、「彼はこのバンドでドラムを叩く為に生まれて来たのではないか?」と思ってしまうほどである。もちろん、サウンドの要は、御大ロバート?フリップのテクニカルで冷静かつアグレッシブなギターのサウンドである。
 次のアルバム『暗黒の世界 Starless And Bible Black』では、もうジェイミー?ミューアの名前はクレジットされていない。彼は、クリムゾンのようなマンモスビジネスを手掛けるバンドの動向に嫌気がさし、きっぱりと音楽活動から足を洗い、庭師になってしまったのだ。しかし、彼の残した影響力は大きく、『暗黒の世界』におけるビル?ブラッフォードのドラミングに、はっきりとジェイミー?ミューアの面影を認識することができる。ブラッフォード自身、最も影響を受けたミュージシャンの1人にミューアの名前を挙げているという事実もある。
 『暗黒の世界』は、ライブ音源によるインプロビゼーション中心の曲がほぼ半分を占めていたせいか、トータルバランスと言う点で、やや纏まりに欠ける感が有る。だが、このアルバムに収められている“突破口 Fracture”は、プログレ史上屈指の名曲である。冷ややかで、破滅感すら感じてしまう独特なギターの旋律がとてもスリリングで、「よくもこんな難解なフレーズを、ここまで正確に弾きこなせるものだ。」と感心してしまう。前作から始まっている、この時期のクリムゾンのコンセプトが、明確に表現された傑作である。そして同年、ついに正メンバーが、フリップ、ウェットン、ブラッフォードの3人になってしまったキング?クリムゾンは、クリムゾン作品の中で確実に3本指に入り、最高傑作に挙げるファンも多い『レッド』をリリースする。聴く度に気持が高揚してしまうタイトルチューンの“レッド”をはじめ、名曲ばかりがぎっしり詰まった完璧なアルバムであった。しかし、この作品で、まさに音楽水準のレベルメーターが、レッドゾーンを越え、完全に振りきってしまったためか、1974年11月、キング?クリムゾンは、長い冬眠に入ってしまう。そう、私にとって運命の1981年まで???。

?1981年~クリムゾン?リアルタイム体験

 あれは1981年、世間の色がクリスマスカラーの赤と緑ばかりになってしまっていた季節、ハタチの私は、生まれて始めて浅草という土地を訪れた。東京の中野区で生まれたものの、物心がついた頃には、家の窓の外に見える高尾山から、山猿や狸が遊びに来そうな、東京の西の端っこで暮らしていた私は、東京都民でありながら、浅草には全く縁がなかった。というのも、場所が遠かったという理由以外に、私には浅草は“高年齢層の街”という先入観がずっとあり、頭に思い浮かぶのも、雷門、浅草寺、雷おこし、といったところで、街中に線香の香りが漂っているというイメージを勝手に抱いていたからだ。それこそ自分が老人になるまでは、訪れる機会など絶対にないだろうと思っていた土地なのである。当時、ロック?バンドでボーカルを担当していたため、長髪にパーマをかけ、派手な赤いジャケットを羽織り、スリムなジーンズにピカピカのブーツという装いの私は、何故に生まれて始めて自分に最もそぐわないと思っていたこの渋い街を訪れたのか?それは、私が神として崇めていた“キング?クリムゾン”という、プログレッシブ?ロック界最高峰のスーパー?グループが待望の初来日を果たし、その日、今はなき浅草国際ホールでコンサートを行う事になっていたからで、しかも私は、普段よりの善行(夜、蜘蛛を殺さないとか、電車で老人に席を譲るとか、哀れな野良猫に煮干をやるとか)の報いとして、かなり入手困難とされていたその公演のチケットを奇跡的にゲットしていたのだ。余談だが、浅草国際ホールという場所は、私が幼少の頃テレビ放映されていた喜劇『でんすけ劇場』の公演会場であり、まさに東京下町の大衆演芸のお披露目の場であった。キング?クリムゾン?クラスの超有名外国人ロック?グループが、そのような地味な会場でコンサートを行うというのは、とても珍しい事だったし、その当時、外タレのライブを見まくっていた私にとっても、実に例外的な場所であった。奇抜で難解な楽曲を奏でるグループだから、公演に選んだ場所も意外性に富んでいたのであろうか?ともかく、私はその夜、ついにプログレのカリスマが日本のリスナーの目の前で、その偉大なる神業を披露するという、歴史的出来事を最高の感激を持って体験することになる???。はずであった。
 私の数メートル先で、神様ロバート?フリップが、人間シーケンサーと呼べるような揺ぎなき技術を駆使し、独特で、複雑で、奇抜で、難解なギター?フレーズを奏で、そのバックでは、エレクトリック?ドラムを加え、ますます表現力が増したビル?ブラッフォードが、ハイセンスなドラミングを披露し、ステージ中央にいるエイドリアン?ブリューのギターが猛獣の鳴き声のごとく唸りまくり、かつて、この浅草国際ホールの同じステージで演じられていた、『でんすけ劇場』の主役“でんすけ”のハゲ頭を思い起こさせる、ぴかぴかのスキンヘッドのトニー?レヴィンが、スティックという未知の魅力的な楽器を操っていた。その日、彼等のサウンドを聴きながら、不謹慎にも、“でんすけ”を思い出していたのは、私だけだったであろう。
 そのライブの数ヶ月前、長年の冬眠から目覚め『ディシプリン Descipline』というニューアルバムを引っ提げ活動を再開したキング?クリムゾンに対し、かつてのファン達は狂喜し、大きな期待感に胸を膨らませていた。当時、ブートも含め過去のクリムゾン作品を聴きまくっていた私も、クリムゾン再結成のニュースを聞き、「奇跡が起こった。」と思い、無宗教なのに何処かにいるはずの神様に深く感謝した。実を言うと、この瞬間からが、私のクリムゾン?リアルタイム体験の始まりだっだ。そして、ニューアルバムが発売されると、私は即それを購入し、彼等のサウンドを楽しんだ。そう、正直言って、『ディシプリン』に関しては、ただ楽しんだだけなのだ。1974年に解散する以前の彼等の作品は、私に衝撃に近い感動を与えてくれた。しかし、新生クリムゾンは、『ディシプリン』を聴いて、そのノリの良さや一種のユーモアを効かせた楽曲の数々を心から楽しめはしたものの、感動と呼べるレベルの贈り物を私にくれなかった。
 楽曲を分析すると、変拍子も駆使しているし、ツインギターによる難解な複合フレーズという新しい試みも取り入れていた。ブラッフォードのドラムにも、かつては無かった音色が加わっているし、ブリューの表情豊かなギターも斬新で、レヴィンのスティックも実に画期的な楽器だったと思う。そして、クリムゾン休止中、ブライアン?イーノとのプロジェクト等で、ギター?サウンドにおける無限の可能性を追究していたという御大フリップの超人技には、さらに磨きが掛かっていた。ただ、時代性も影響していたのだろうが、全体的にこじんまりと纏まり過ぎてしまった楽曲は、衝撃や感動を与えてくれる類の物ではなかったのだ。事実、新作『ディシプリン』の曲ばかり演奏していたその日のライブでも、
“憧れのフリップとブラッフォードのプレイを生で見ている。”という感激はあったのだが、ニューアルバムの曲そのものに対しては、やはり楽しむだけというレベルであった。そして、(たしか)アンコールで彼等が過去の名曲“太陽と戦慄パート2”と“レッド”を演奏した時、初めて本物の興奮と感激が、落雷の様に私の心身を直撃したのである。もちろん、この2曲に対する既存の思い入れも大きかったとは思うが、新曲と比べると、やはりそのスケールの大きさに格段の違いがあった。
 このプロジェクトは、その後さらに『ビート Beat』、『スリー?オブ?ア?パーフェクト?ペアー Three Of A Perfect Pair』という2枚のアルバムを発表するが、その音楽性は『ディシプリン』と同じ路線で、3枚目の『スリー?オブ?ア?パーフェクト?ペアー』において、ややパワーアップした感はあったが、あくまでその域であった。実は、後で知った事なのだか、1981年に始動した新生クリムゾンは、当初は【ディシプリン】というグループ名を予定していたそうだ。今思うと、ロバート?フリップ本人が、キング?クリムゾンとしての要素を、そのニュー?ユニットには求めていなかったのかもしれない。やはりあれは、キング?クリムゾンではなかったのだ。もし彼等が【ディシプリン】という名前のままデビューしていたら、私は彼等を世界最高のニューウェイブ?ロック?グループとして、大絶賛していた事であろう。
 『スリー?オブ?ア?パーフェクト?ペアー』を最後の作品として、この1980年代の【ディシプリン:クリムゾン】は、さらに長い冬眠に入る。
 そして、またしても1994年に活動を始める、KING CRIMSONを名乗るグループのサウンドを、私は今日まで聴こうとしていない。

?キング?クリムゾン、そのメンバーの移り変わり

 1960年代も終わりを告げようという頃、当時連勝街道を突き進んでいた横綱ビートルズは、物凄い勢いでのし上がって来たキング?クリムゾンと名乗る関脇に、ついに土をつけられてしまう。『アビーロード』という大技で新参者を迎え撃ったビートルズだったが、気が付いてみると、キング?クリムゾンの『クリムゾン?キングの宮殿』という、見た事のない変則技を多用した複合戦法により、土俵の外に投げ出されていたのだ。そう、1969年、キング?クリムゾンのデビューアルバム『クリムゾン?キングの宮殿』は、あのビートルズの名作『アビーロード』を押さえ、全英ヒット?チャートの頂点に君臨していたのである。そして、そこからキング?クリムゾンは、プログレッシブ?ロックと呼ばれる新しいジャンルの名横綱として、その長い道のりを歩み始めることになる。
 キング?クリムゾンほど、マーケットのニーズを無視し、独自の音楽性を追及して来たのにもかかわらず、このような空前のビッグセールスを生んだグループは他に無いであろう。その後、アルバムを出す毎にメンバーチェンジが発生し、その都度コンセプトや曲調も異なるため、多くの評論家達から、「クリムゾンとしては、駄作である。」等と酷評された作品も残しているが、クリムゾンのリーダーであり、全アルバムのイニシアティブを取ってきたロバート?フリップ自身は、常に妥協無き姿勢で作品を創造してきたわけで、そんな世間の雑音には一切耳を貸さない姿勢が見うけられた。
 キング?クリムゾンの母体は、【ジャイルズ?ジャイルズ&フリップ】である。ベースのピーター?ジャイルズが、都合により活動を共にする事ができなくなってしまい、ドラムのマイケル?ジャイルズとギター&メロトロンのロバート?フリップの2人が中心となり、1968年の11月にキング?クリムゾンは結成される。ベース&ボーカルに元ゴッズのグレッグ?レイク、サックス、フルート等にイアン?マクドナルド、そして、(4枚目のアルバム『アイランド』まで)作詞を始め、クリムゾンワールドのアート全般を手掛ける影の重要人物、ピート?シンフィールドというメンバーで活動を開始する。1969年の7月、ローリング?ストーンズが行った、有名なハイドパークでのコンサートに共演し、その評判を一気に上げる事となり、同年10月10日にデビュー?アルバム『クリムゾン?キングの宮殿』をリリースし、大ヒットを記録する。
 1970年に、セカンド?アルバム『ポセイドンのめざめ』を発表するが、その時には既にマイケル?ジャイルズとイアン?マクドナルドが、新バンド結成という目的のため脱退してしまっており、このアルバムでマイケル?ジャイルズは、実質的にはゲストという形でドラムを叩いている。イアン?マクドナルドの後釜にはメル?コリンズがおさまり、ボーカルに専念するグレッグ?レイクの代わりにベースを弾くのは、マイケルの兄弟であり、助っ人として参加のピーター?ジャイルズで、前衛ジャズの名ピアニスト、キース?ティペットも、その独創的な調べを聴かせてくれている。そして、一曲だけフリップの幼なじみのゴードン?ハスケルがボーカルを担当している。
 セカンドリリースの同年に、サードアルバム『リザード』を発表。ゴードン?ハスケルがベース&ボーカルに、ドラムがアンディー?マックローチに替わっている。ゲストとして、キース?ティペットが再び参加、その他に数名のジャズ?ミュージシャンがホーンセクションを担当している。このアルバムで特筆すべきは、もう一つのプログレッシブ?ロックバンドの雄“イエス”のボーカリスト、ジョン?アンダーソンが、一曲のみの参加ではあるが、その磨きかけのダイヤモンドのような、神秘的な歌声を聴かせている事であろう。
 翌1971年、4枚目『アイランド』をリリース、ベース&ボーカルを、クリムゾン加入後にフリップからベースの弾き方を教わったというボズ?バレルが担当。ドラムはイアン?ウォーリスにチェンジしている。また、このアルバムにもキース?ティペット始め、数名がゲストとして参加している。
 そして、この『アイランド』発表後に、デビューからロバート?フリップと共にクリムゾンの根底を支え続けてきた、ピート?シンフィールドが脱退を表明する。さらに、バンドのメンバー間の不仲説が巷にまで流れてくるようになり、ついに、キング?クリムゾンは、『宮殿』を越えるインパクトのある作品を出さずに、その活動に終止符を打つのではないか?と思ったファンも多かったはずである。
 しかし、ロバート?フリップの自己の音楽への飽くなき追究心と熱意は、クリムゾンの歴史上最強と言えるミュージシャン達を呼び寄せ、1973年に発表した『太陽と戦慄』は、ついに『宮殿』と同レベルの、いや、ある意味それを超えるインパクトと感動をリスナーに与えた。ドラムがビル?ブラッフォード、ベース&ボーカルがジョン?ウェットン、パーカッションがジェイミー?ミューア、そして、ヴァイオリンがデビッド?クロスという顔ぶれであった。
 翌1974年に、『暗黒の世界』をリリース、このアルバムにはもう既にジェイミー?ミューアの名前はない。そして同年、デビッド?クロスまでもが脱退してしまう事になる。
 正式メンバーがフリップ、ブラッフォード、ウェットンの3人だけとなったキング?クリムゾンは、イアン?マクドナルド、メル?コリンズといった懐かしい顔も含む数名のゲストを向え、これまた最高傑作の呼び声が高い『レッド』を懇親のパワーを振り絞り最後に完成させた。そして、このクリムゾン?ミュージックの到達点を思わせる究極のサウンドを残し、1974年11月、ついに解散してしまう。
 その後1976年に、彼ら初のベスト『新世代への啓示 A Young Person’s Guide to King Crimson』がリリースされる。
 ちなみに、1970年代に出した彼等のライブ盤は、“アイランド”のメンバーによる『アースバウンド Earthbound』と“暗黒の世界”のメンバープラス、オーバーダビングでエディー?ジョブソンが参加している『U.S.A.』の2枚である。
 そして、約6年の沈黙を破り、ロバート?フリップ(ギター)、ビル?ブラッフォード(ドラム)、エイドリアン?ブリュー(ギター、ボーカル)、トニー?レヴィン(ベース、スティック)というメンバーで、1981年、そのキング?クリムゾンという名のグループは、再び動き始め、同メンバーで1981年『ディシプリン』、1982年『 ビート 』、1984年『スリー?オブ?ア?パーフェクト?ペアー』という80年代のクリムゾン3部作を世に残し、再び活動を休止する。
 そして、さらに長い冬眠期間を経て、

1994年、ミニアルバム『VROOOM』を、
Robert Fripp (guitar)、Adrian Belew (guitar, voice, words)、Trey Gunn (stick)、Tony Levin (basses and stick)、Pat Mastelotto (acoustic and electronic percussions)、Bill Bruford (acoustic and electronic percussions)でリリース 。

1995年、『THRAK』を、
Robert Fripp (guitars, soundscapes, mellotron)、Adrian Belew (guitar, voice, words)、Bill Bruford (acoustic & electric percussions)、Tony Levin (upright & electric basses, backing vocals)、Trey Gunn (stick, backing vocals)、Pat Mastelotto (acoustic & electric percussions)でリリース。

2000年、『The ConstruKction Of Light』を、
Robert Fripp (guitar)、Adrian Belew (guitar, vocals)、Trey Gunn (bass touch guitar, baritone guitar)、 Pat Mastelotto (drumming) でリリース。

2002年、ミニアルバム『ShoGaNai (Happy With What You Have To Be Happy With)』を、
Robert Fripp (guitar)、Adrian Belew (guitar, vocals)、Trey Gunn (bass)、Pat Mastelotto (drums)で、リリース。

2003年、『The Power To Believe』を、
Robert Fripp(guitar)、Adrian Belew (guitar, vocals)、Trey Gunn(warr guitar,retless warr guitar)、 Pat Mastelotto(traps,buttons)でリリース。

尚、ロバート?フリップは、1980代より今日まで、ベスト盤と未発表のライブ盤を多数リリースしているが、ここでは紹介しきれないので割愛する。

 最後に、この執筆にあたり貴重な情報提供をして下さいました“三段腹さん”と“せいいちさん”に、心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(ぴー) 2004.10

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待望の新譜発売だ~っっっ!!!!
 今回のアルバムで強く感じたのは、パット?マステロットとトレイ?ガンの新人(といっても今回が初参加という意味ではなく、90年代クリムゾンになって初めて参加したメンバーという意味です。)2人がビル?ブラッフォードとトニー?レヴィンに気兼ねなく初めて自分たちの能力を発揮し得たアルバムだなということです。だって2人とも今まではすごく影が薄かったから(きっと先輩方に挟まれて大変だったことであろうと他人事ながら頭が下がる思いです。)、このアルバムでやっと本領を発揮することができたことでしょう。実際このリズム隊がすごく良い仕事をしていると思います。彼らの貢献によってドライブ感が増し、メタル色が強くグランジ風味の趣きがあった90年代クリムゾンの音像が今までよりもさらに締まり、このリズム感によってヘビィな感覚が強まったように感じます。メンバーが6人から4人に減ったことをハンディに感じさせないばかりか、ロックのダイナミズムを強く感じる作品となりましたね。ビル?ブラッフォードが今回参加していない理由に関してフリップ翁は「ビルの仕事が忙しくてスケジュールが合わなかっただけ。(後略)」というようなことを各所で言っていましたが、このアルバムを聴いてみると、ジャズ系ドラマーへとますます傾倒していくビルブラッフォードをフリップが敢えて起用しなかったのではないかとさえ思えるのですが、どうでしょう。
 初めて1回通して聴いた時には、80年代クリムゾンと90年代クリムゾンが融和した今までの流れに近いベクトルを感じたのですが、聴き込んでいくと確かにそのイメージを持ちながらも、とても緻密に構築されていることに気づきました。どうやら今回のアルバムは何度も聴き返せば聴き返すほどボディブローのようにジワジワと効いてくるタイプのようです。一聴後のインパクトが凄く強いわけではありませんが、それ故にクリムゾンを聞き込んできたリスナーにとってジックリ聴ける、そうやって真価を発揮するアルバムに仕上がっているようです。とにかく僕にとっては「フラクチャー」の続編となる「フラクチャード」と、「太陽と戦慄パート4」がタイトルどおりそれぞれの続編にふさわしい素晴らしい出来映えで、コイツでダブルノックアウトを喰らってしまいました。やはりこの2曲を聴かずして90年代クリムゾンは語れないでしょうね。10月に決定した来日公演でこれらの曲を聴くのが今からとっても楽しみです。

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哀愁と叙情性
 そして何回かこのアルバムを聴いているうちに夢が広がってしまったことなのですが、(そんなことはとても無理なお願いだとは分かっていますが???敢えて言うと)次回こそは哀愁漂う叙情性の高い曲を演奏して欲しいと強く感じました。
 70年代クリムゾンのアルバムにあったように美しい調べを持った、哀愁と叙情性を称えたナンバーたち、例えば「エピタフ」や「クリムゾンキングの宮殿」、そして「スターレス」など。さらにもの凄く凶暴で張りつめた楽曲の狭間にはさまれて配置されていた、触れると壊れてしまうくらい繊細なメロディを持った「ムーンチャイルド」のような曲など、アルバムのトータル?クオリティをグッと高めていたあの楽曲群には叙情性と儚さが同居し煌めいていました。あの初期クリムゾンが持っていた哀愁を体験することはもう2度とできないのでしょうか? うーん、できないんだろうなあ???と言いつつも実は数年前にスティーブ?ハケット&フレンズの来日公演でフレンズの一員としてやって来ていたイアン?マクドナルドとジョン?ウエットンたちが「キングの宮殿」と「風に語りて」を演奏したときにはホントにホントに感動させてもらいました。でもやっぱり今のキング?クリムゾンで新しい形の「キングの宮殿」や「スターレス」を聴いてみたいですよね。(同じ曲をやってくれという意味でなく新しい「エピタフ」や「キングの宮殿」を作って欲しいと言う意味です。同曲をやってくれるのならそれはそれで大歓迎なんですが、まず不可能でしょう。)グレッグ?レイクやイアン?マクドナルドやジョン?ウエットンがいないと、そのタイプの曲は作れないというのならプロジェクトの活動を何とかこっちに変えてくれんかなあ???なんて戯れ言ですけどね。でもそんなこと思っている不遜なリスナーって意外と多いと思うんだけどなあ。まあ、グレッグ?レイクの声質だけは今や相当苦しいものがあると思うので、彼は無理としてイアン?マクドナルドやジョン?ウエットン入りのプロジェクトはみんなも見てみたいでしょ?無理なんだけど???。
 そういう意味では今のキング?クリムゾンにおいて緩急をつけるための役割はエイドリアン?ブリューの曲が担っているのでしょうが、僕としてはどうしてもアメリカンな香りがして残念ながらなかなか馴染めないでいます。(エイドリアン?ブリューファンの人、ごめんなさい。)80年代クリムゾンがリアルタイムな人には全然ノープロブレムなことだと思うんですが、オールドエイジの自分には70年代クリムゾンの幻影がどうしても頭をよぎってしまいます。線が細くて空間を漂うな軽さを伴うエイドリアン?ブリューのギターの音色も特に今回のヘビィなリズム隊との協調という点で考えると、やっぱり少し浮いた感じがします。(あーん、エイドリアン?ブリューファンの皆さんごめんなさい。許して~。)逆にその異質なものとの融合という観点から見ればそこが魅力ともなるのでしょうが、どうもこの音色を聴いていると昔TVのCMでエイドリアン?ブリュー自身が登場して楽しげに象ギターを「パオーッ」と弾いていたクリムゾンらしからぬ姿(いや~ん)が蘇ってくるんです。とは言ってもツインギターバンドですからその役割分担を考えるとそれぞれの色合いのバランスを考えてのことだということも分かっています。すご~く勝手なことばかり言ってしまいました(ちょっと後悔)が、これもみなクリムゾンだからこそ敢えて言ったまでのこと。このアルバムの出来映えは凡百のバンドとは明らかに一線を画す素晴らしいものですから絶対に誤解無きようお願いするとともに是非とも聴いていただきたい(みんなが買ってくれないと来日や今後の活動にも支障が出るかもしれない。みんなクリムゾンを応援しよう。)
 あっ、ちなみに海外のVROOMツアーでは「21世紀のスキッゾイドマン」(これってやっぱりこう書かなければいけないんですかね。自分としては昔の邦題「21世紀の精神異常者」の方がピタッと来るんですけど???)をやっていた筈なんだけど、これだけインターバルがあってメンバーも2人減っていたりすると、やらなくなってしまうのかしら? うーん、それはまずい。やってくれないととっても寂しい。是非とも、絶対に演奏してください、って誰に言っているんだろう、俺(トホホ)。

 

寂しい話になってしまいましたが、自分だけ元気の出る話をひとつ。
皆さん「ストレンジ?デイズ」(前は隔月発売だったが、人気があるらしく現在毎月15日発売)という雑誌があるのをご存じでしょうか?ニッチなブリティッシュロックを扱うニッチな雑誌(注:褒め言葉です)で、創刊号ではハーヴェスト?レーベルを特集したり、その後の号ではヴァーティゴ?レーベル(2号に掲載)、カリスマ?レーベル(3号に掲載)、ヴァージン?レーベル(4号に掲載)、マンティコア?レーベルの紙ジャケ再発時にはマンティコア?レーベル(5号に掲載)を特集したり、キング?クリムゾンの紙ジャケシリーズ再発時には、キング?クリムゾン特集を(6号に掲載。と同時にネオン?レーベルの特集も)組んだりしてプログレ好きにもちょっと気になる雑誌です。ここに書いた各レーベルの特集は各アルバムの参加アーティストや曲目リストがついた詳細なディスコグラフィーと紹介文が載っていて、資料価値の高い作りに感動しますよ。あくまでもニッチなブリティッシュロックを扱うということで、俗に言うプログレど真ん中というわけではありませんが、逆に「マーキー」のバックナンバー(昔のマーキー誌はプログレど真ん中でとても参考になったのですが、今のマーキーは傾向が変わり、その代わりに「ユーロロックプレス」という雑誌が発刊されています。でもプログレど真ん中情報を得たいのなら、まずはマーキーの68号までのバックナンバーを読むべし。)を読んできた身としては、プログレとしては一般的に扱われていない為にプログレ専門誌に扱われることのなかった(名前は知っているけど聴いたことがない)ニッチなロックに触れる機会が増え、音楽への楽しみが増している感じです。バンド名は知っているけど聴いたことがなくて、なかなか聴こうという踏ん切りがつかないアルバムって結構あるじゃないですか。そんなアルバムを買うきっかけ作りに役立っている本ですね。と同時に、ここのところ落ち着いていた購買アルバム数を増やす元凶ともなっている本です(笑)。文字量が多く情報量も豊富なので何度も読み直す楽しみもある本です。そんな「ストレンジ?デイズ」の2000年5月号(9号)に、フリップ翁が新作プロモーションのためインタビューに登場しています。内容は敢えて書きませんが、今後の活動や来日スケジュールなどにも触れていますので気になる方は(すでにバックナンバーですが)ご一読を。
 「ストレンジデイズ」には毎号アンケート&プレゼントのページがありますが、そのインタビューが載っている号のアンケート&プレゼントコーナーにロバートフリップ師匠のサインが入った「クリムゾンキングの宮殿」が入っているではあ~りませんか(チャーリー浜風)。多分インタビュー時にサインをもらった代物です。但し書きを読むとあの「赤づら親父」の歯にはフリップ翁のイタズラ書きのお歯黒まで塗られているとの事。うーむ、これはスゴイ。プレゼント写真の下の方には「ロバートフリップサイン入りの紙ジャケCD「クリムゾンキングの宮殿」を1名様にプレゼント。どうよ!」という編集の方の大偉業を成し遂げた満足そうなキャッチコピーがドドーンと載っています。これを見た時、その感動とは裏腹に「こんなの競争率も高いし、大体本当に読者に送ってるのかどうかも怪しいものだ。」と非常に懐疑的な気持ちが強かったのですが、さっそくシコシコせっせとアンケートにお答えして、プレゼント希望欄にはもちろん「ロバートフリップ先生直筆サイン入り(イタズラ書きつき)<クリムゾンキングの宮殿>をお願いします。」なんて希望をしっかり明記。ハガキのウラ面に少しでも目立つようにと蛍光ペンのラインまで入れました(笑)。さらに直ぐに出すときっとハガキの山の下の方に埋もれてしまうだろうし、締め切り間際なら間際で何かあざとい感じがしたので、締め切りの1週間ほど前に「当たるわけなどない」と思いつつ一縷の望みを託しポストに投函。投函日は5月7日(連休中の休日出勤)で郵便局も休みなので経理から50円切手2枚を買い、その1枚をそのアンケートハガキに貼って出しました。ちなみにもう1枚の50円切手はクリムゾンの新譜「the constrKuction of light」についていたアンケート&オリジナルグッズプレゼントはがきの投函用に使用(笑)。
 こんなの当たるわけないけど本人としては出したことでスッキリし、そんな出来事をすっかり忘れていた5月17日(ハガキの締め切りが確か5月14日だったからそのわずか3日後)に例のごとく深夜、会社から帰宅するとテーブルの上に何気な~く佐川急便の小包が???。送り状を見ると送り元は「ストレンジデイズ編集部」で、備考欄には「クリムゾンCD」という文字が!!!

Epitaph

 昔の学生運動、特に全共闘運動などの資料や、活動家の手記あるいは日記などを読むとき、いつも頭の中で鳴り響く曲は、King Crimson の “Epitaph” 。1969年発売のデビューアルバム “In The Court Of Crimson King” に収められた一曲だ。

 ”Confusion will be my epitaph” 「『混乱』こそがわが墓碑銘」と歌うクリムゾンの叫びは、そのまま同時代の極東の小さな島国で起こっていた稚拙で無計画な叛乱を感じとっていたかのようだ。彼らの政治的主張はすでにお話にならないが、学生時代を遠く過ぎてしまった自分には、焦燥感ばかりだった学生時代が思い出され、情緒的には深く共鳴する部分もある。だから、誤解を恐れずに書くと、自分自身のあやまちと重ね合わせ、彼らの苦悩の記録を読むのは嫌いではない。

 彼らの時代や俺の学生時代と同じく、現在の社会にも理不尽なことは多く存在する。もはや大きな叛乱も起こらず、ある種の無力感さえ漂っている。しかし当時より矛盾は深まり、むしろ先鋭化していると言えるかもしれない。我々の前に広がるのは、ただ暗黒の世界 “Starless and Bible Black” とでもいうべきだろうか。

 だからといって俺は彼らと同じような結論には至りはしない。少なくとも虚無的になることはない。彼らが大切に持っていた何かについて俺はどうにも価値を見出せないかわりに、彼らが否定してみせた、粘り強く継続して取り組むべき何かが、俺にとってはなによりも大切なものであることだけははっきりしている。

2004年10月24日

第4章 ロックの多様化と様式美の追求(60年代末期~70年代初期)

1.プログレッシヴ?ロック
 
サイケデリック以降、ロックはさまざまな実験と融合を繰り返しながら多様化していったが、それらは、ある2つの大きな方向性に分けることができた。その1つは精神的?観念的なものを重んじ、それを先進テクノロジーを駆使しながら表現していくという方向性だ。これらは「進歩的」と言う意味でプログレッシヴ?ロック(通称プログレ)と名付けられた。
 プログレと思われる音楽が、初めてロック界で注目されたのは、67年にデビューしたピンク?フロイド(右写真)。たまたまビートルズのレコーディングと隣り合わせのスタジオに彼らがいて、それを見たビートルズのメンバー達は、サイケデリック?フォークとでもいうような斬新なサウンドに度肝を抜かされたという。また同じ頃、カンタベリー?ミュージックの祖、ソフト?マシーンもデビューを果たし、プログレの中でも特にジャズ傾向の強い、ジャズ?ロックへと発展していくことになる。
 プログレの人気が決定的になったのは、69年にデビューするキング?クリムゾン(通称クリムゾン)のデビュー?アルバム「クリムゾン?キングの宮殿」が、UKチャートでビートルズの名盤「アビイ?ロード」を抜き去り、1位になってからのことだろう。
 プログレは、壮大なコンセプトや実験を表現方法として全面に出していたため、あらゆるジャンルの音楽とのクロスオーヴァー性、変拍子や転調など複雑な曲調、最新技術に対応した優れた演奏能力などを売り物にした。多くのメンバーチェンジによって、それらをすべて兼ね備え、群を抜く演奏能力を持つに至ったイエスの台頭で、さらにプログレ人気は高まり、一大ブームを巻き起こすのである。
 70年代初頭~半ばにかけて、このピンク?フロイドキング?クリムゾンイエス、それにクリムゾンを脱退したグレッグ?レイク(b)がスーパー?キーボディストのキース?エマーソンと組んだスーパー?グループ、エマーソン?レイク&パーマー(EL&P)らが大活躍し、プログレは全盛を極めるのである。
 このプログレの代表格ともいえる4グループをいつしか、「プログレ四天王」と呼ぶようになった。

2.ハードロック
 ビートルズの「アビイ?ロード」をチャートから引きずり降ろしたのは、実はキング?クリムゾンだけではない。ヤードバーズ解散後、新しいメンバーで再出発したジミー?ペイジ(g)のバンド、レッド?ツェッペリン(通称ツェッペリン、左写真)のセカンド?アルバムもまた、ビートルズを押さえ彼ら初のチャート1位に輝いている。
 このツェッペリンのサウンドは、ブルースを基調としながらも、ブリティッシュ?トラッド、ケルト?ミュージック、カントリー、フォーク、ファンクやあらゆる民族音楽などを取り入れながら、大音量、重低音のドラム、ハイトーンのヴォーカル、独特のギター?リフなどヘヴィメタルの基礎とも言える様式を確立し、サイケデリック以降のロックの方向性において、もう一方の核となっていった。
 その後70年代にはいると、これにつづけとばかり、大音量で派手なパフォーマンスを繰り広げるロック?バンドが急増し、プログレと双璧の一大ブームを形成する。このハードなサウンドのロック全体をハードロックと呼ぶ。
 なかでもクラシック?ミュージックを大胆に取り入れ、スピード感のあるサウンドで絶大な人気を獲得したディープ?パープル、黒魔術や悪魔崇拝などダークな世界観を強調し、宗教的人気を獲得していったブラック?サバスが、群を抜くカリスマ性を持ち、先のツェッペリンと併せてハードロック御三家と呼ばれるようになっていった。

3.その他のロック
 70年代前期は、まさにプログレとハードロックの時代と呼べるロックの発展期であったが、この時代を生き抜くには、オリジナリティが最大の武器であったことから、主流になり得ずとも注目されたサウンドが数多く存在した。
 代表的なものでは、ラテン?ミュージックのリズムとパーカッションを導入したラテンロック(代表アーチスト=サンタナ)や、ジャズ?ロックから発展し、ホーンセクションを多用したブラス?ロック(代表=ブラッド?スエット&ティアーズ)、ロックにカントリー&ウエスタン(C&W)の要素をプラスしたカントリー?ロック(代表=ニッティ?グリッティ?ダート?バンド)、アメリカ版ブルースロックとも言えるサザン?ロック(代表=オールマン?ブラザーズ?バンド)などがある。
 また、ハードロックとは対極的なポップス的ロックは、ソフト?ロックと呼ばれるようになった。
(右のアルバム?ジャケットはサンタナのデビュー?アルバム)

4.叙情派プログレの登場

 初期にはテクニック至上主義の傾向が強かったプログレだが、しばらくすると、楽曲自体のドラマ性や世界観をメインにして、各プレイヤーのソロ?パートなどに重きをおかないサウンドを打ち出すバンドも現れだした。その代表的バンド、ジェネシス(左写真)の72年の出世作「フォックストロット」や同72年ルネッサンス「燃ゆる灰」の成功によって、ますますプログレの世界は広がりをみせはじめた。
 また、プログレのサウンド特徴として、インストゥルメンタル部分が多いことから、言葉の壁が存在しにくく、世界各国からも優秀なプログレ?バンドが次々と現れた。これらはイギリスのプログレと区別され、ユーロ?ロックと呼ばれることもある。中でもイギリスのプログレに影響を受けず、独自の進化を遂げたドイツのテクノロジー追求型プログレをジャーマン?ロックと呼び、区別する風潮が強い。

2004年10月23日


第3章 サイケデリック(1960年代後半)

1.ドラッグとロック
 サイケデリック
という言葉の語源は、精神科医H?オズモンドが考案した、LSD(幻覚剤)の大量投与による人格解放の画期的療法、サイケデリック?セラピーで、その後芸術家達の創造力を高める奇跡の薬だとして、LSDは画家やミュージシャンの間にも広まっていった。
 一方、その頃ヒッピー(50年代の「ヒップスター」というビート?ジェネレイションが語源になっている)と呼ばれる、既成の価値観を拒否し放浪をつづける人々が現れ、アメリカのサンフランシスコを中心に、ベトナム戦争反対やマリファナ解禁などを訴える運動を起こし始めた。いわゆる「ラヴ&ピース」を掲げたフラワー?ムーブメントだ。彼らはサイケデリックと結びつき1つの文化を生みだしていった。その中心地で生まれたロックの代表的なバンドが、グレイトフル?デッドジェファーソン?エアプレインだった。(左写真は代表的なヒッピー?スタイル、右はサイケデリック?ペイント)

2.サイケデリック?ロック
 サイケデリック期のロックは、当初は上の2バンドのような、歌詞の題材に社会問題を取り上げたものなど多かったが、しだいにエスカレートすると、極端に内的破壊力を持つドアーズやパフォーマンス自体が破壊的なジミ?ヘンドリックスなど、本来のサイケデリック運動の意味とはまったく関係のない、ドラッグによる幻覚症状自体をテーマにしたようなロックが激増した。
 1967年、ビートルズがこのサイケデリックをモチーフにしたトータル?アルバム「サージェント?ペパーズ?ロンリー?ハーツ?クラブ?バンド」を発表したことにより、サイケは一挙に世界中にも広まり、ロックのみならず、あらゆる音楽がアシッド(LSD)に汚染された。これらを総称してアシッド?サウンドという。

3.ウッドストック?フェスティバル
 60年代後半には、ロック系のアーチスト達が大きな音楽フェスティバルに大挙して参加するようになり、過激なパフォーマンスで数々の伝説を築き上げていった。中でも有名なのは、65年のニューポート?フォーク?フェスティバル、67年のモンタレー?ポップ?フェスティバル、69年のウッドストック?フェスティバルなどだろう。いずれも本来はロック専門のお祭りではなかったが、目立ち度では、他のジャンルのアーチスト達を圧倒し、終わってみれば「ロックの祭典」と化していた。(右写真はウッドストックの会場風景)
 また、ちょうどサイケデリック?ブームの真っ只中に重なったウッドストック?フェスティバルでは、ヒッピー達が何十万人と集まり、音楽史上最高の盛り上がりをみせた。そこでトリを務めたのがジミ?ヘンドリックスで、アメリカ国家を演奏後、ギターに火を付けるパフォーマンスで一躍有名になった。

4.ロックの3大ギタリストと1人の革命児
 すでにロック界では知らぬ人がいないくらいのスーパー?ギタリストだったクラプトンベックに加え、同じヤード?バーズ出身のギタリスト、ジミー?ペイジレッド?ツェッペリンを結成して頭角を現した。そして、この3人は同じ出身バンドであったことから、「ロックの3大ギタリスト」と呼ばれるようになっていた。さらに、その1人クラプトンをして、「オレとジェフが束になってかかってもかなわない」と言わせたジミ?ヘンドリックス(写真左)は、歯や頭の上でギターを弾いたり、ギターを床に叩きつけて壊す、火を付けて燃やすなどという過激さで、ロック界にライブ?パフォーマンスの革命を巻き起こした。
 彼ら達の大活躍によって、ギタリストの地位はバンド内でますます増大し、上手いギタリストが在籍していないバンドは売れないという図式まで作り上げてしまった。いわゆる「ギタリスト花形時代」の到来だ。

5.アート?ロック
 サイケデリック?ブーム末期になると、ロックは実験的に様々なジャンルの音楽と組み合わされ、しだいに難解なサウンドが時代の潮流となっていった。リスナーの方もそういったものに慣れ、芸術性や音楽性の高いアーチストを好むようになっていった。そこでレコード会社は、これらの新種をひとまとめにしてアート?ロックと名付け、大キャンペーンをはって売り込もうとした。その代表的なアーチストは、クリームジミ?ヘンドリックスジャニス?ジョップリンヴァニラ?ファッジレッド?ツェッペリンアイアン?バタフライシカゴブラッド?スウェット&ティアーズなどである。
 しかし、これらのアーチスト達は、しだいに2つの大きな方向性に分かれ発展してゆくことになる。それが70年代初頭に隆盛を極めるハード?ロックプログレッシヴ?ロックであった。
 特にメンバー3人が互いに競い合い、大音量で演奏バトルを繰り広げたクリームと、過激パフォーマンスでライブ演奏に革命を起こしたジミ?ヘンドリックスは、ハードロックの基本スタイルとして多くのロッカー達の手本となっていった。(右写真はハードロックへの橋渡し的活躍をしたクリームの代表曲シングル)


2004年10月21日

ロックの歴史

第1章 ロックのルーツ?ミュージック

1.ロックンロールの誕生まで

 ロックのルーツ?ミュージックとしてのさまざまな音楽は、1920年代にレコードとラジオが誕生すると、急速に民衆の間へ浸透した。
 例えばカントリー?ミュージックは、1920年代後半、アメリカ南部の労働者階級のポピュラー?ミュージックとして、イギリス系移民の民族音楽にアフリカ系アメリカ人の音楽と北部都市の音楽を取り込んで発展し始め、50年代に現れるハンク?ウィリアムズの人気がこの音楽を定着させた。
 一方、ロックのルーツとしてはカントリーと双璧のブルースもまた、20世紀初頭にアメリカの南部の黒人達の間で生まれた歌唱音楽で、50年代になる頃には、白人の間ではロックンロール、黒人の間ではリズム&ブルースやファンクとして発展していった。

2.フォークとロカビリー

 その後カントリー?ミュージックは高度なテクニックを必要とするブルー?グラスやギター一本でも手軽に歌えるフォークなどに細分化されていった。ブルースをベースにしたロックンロールもまたヒルビリー?ミュージック(地方の土着音楽)と組み合わさり、ロカビリーというジャンルを生んだ。これらの音楽に共通するのはギターを持つことであり、それこそがロック発展の重要なキー?ポイントとなったのだ。
また、ロカビリーにはカール?パーキンスジーン?ヴィンセント、ロックンロールにはエルヴィス?プレスリービル?ヘイリーといった人気スターが出現し、若者を中心に巨大なマーケットを作り出した。これによって音楽業界は一変、一気にポップスからロックンロールへの流れへと加速した。

3.エレクトリック?ギターの出現

 ロックとギター、これは実に密接な関係を持っていて、特に初期のロックにおいては、ギターの発展こそがロックの発展にもつながった。
1941年、ジャズ?ギタリストであり発明家でもあったレス?ポール(左写真)が、ピックアップ(小型マイクのこと)付きのソリッド?ギター(中が空洞の普通のギター)を完成させる。これをギブソン社に持ち込むが最初は相手にされず追い返されてしまったという。その後1948年にフェンダー社がエレクトリック?ギター(日本ではエレキ?ギターと呼ばれた)の1号であるブロード?キャスターを発表し好評を博すと、ギブソン社は慌ててレス?ポールに連絡を取り、1952年になってやっとギブソン?レスポール?モデルを完成させる。これ以降、ジャズやブルース、ロックンロール系ミュージシャン達は、続々と大きい音が出るエレクトリック?ギターに持ち替えていくことになる。レス?ポール自身もまたギターの名手であり、トリッキーなプレイと、自ら考案した多重録音方法を駆使して、音楽業界に新風を巻き起こした。

4.ギター?ヒーローの登場

 エレクトリック?ギターが広く浸透するようになると、腕に覚えのあるギタリスト達が競い合うようになり、その中でも屈指のギタリスト達は若者達の間でヒーローとなっていった。ジャズ界では先のレス?ポールがトリッキーなプレイと速弾き(これは実際にはレコードのマスターテープの回転を速めていたらしい)で有名になったが、カントリーではチェット?アトキンス(右写真)、ロックンロールではチャック?ベリー(写真左)といったヒーローが誕生した。
特にダッグ?ウォーク(アヒルのように中腰で歩きながらギターを弾く)などのパフォーマンスで一躍人気者になったチャック?ベリーの存在は、後続のロッカー達に大きな影響を与えた。

5.サーフィン/ホットロッド?ミュージック

 60年代初期になると、アメリカ西海岸ではロックンロールがインストゥルメンタル(ヴォーカルなし)系のサウンドと、ハイ?トーン?コーラスを主体としたサウンドに分かれ独自の進化を遂げた。前者はディック?デイル&ヒズ?デルトーンズからベンチャーズへの流れ、後者はビーチ?ボーイズジャン&ディーンなどで、これらを総称して、サーフィン/ホットロッド?ミュージックと呼ぶようになった。(ホットロッドはサーフィン?ミュージックの延長線上のもので、改造車をテーマにしたもの)
後にこれらの音楽はイーグルスドゥービー?ブラザーズ?バンドなどウエストコースト?サウンドといわれるグループに受け継がれてゆくことになる。
 一方、この頃イギリスでもロックンロール旋風が吹き荒れ、若者はこぞってロックンロールをやりだしたが、アメリカのようにカントリーやブルースの下地がなかったため、少し様相は違っていた。イギリスのミュージシャンが注目したのは、そのビートとイギリスでは珍しかったギターという表面的なもので、それが独自の進化を促した。

 

第2章 ロック誕生(1960年代)

1.ブリティッシュ?ビートの流行

 60年代初頭、イギリスでもロックンロールが盛んに演奏されていたが、特にリヴァプールを中心にエレクトリック?ギターを主体としたシンプルなロック?ビートと、シャウト?スタイルのヴォーカル、ドゥ?ワップから影響を受けたと思われるバック?コーラスという共通のサウンドを持った音楽が広まっていった。また、これらのグループは、それまでのグループがほとんどの楽曲を作曲家に依頼して作ってもらっていたのに対し、オリジナル曲も持っていたという点が注目される。(写真右:この時期に活躍したアニマルズのLP)
 日本ではこういったサウンドをリヴァプール?サウンド、現地イギリスではマージー?ビートなどと呼ぶ。広義では60年代初期の全英規模の流行現象として、これらをブリティッシュ?ビートと呼んでいる。

2.ビートルズの出現とブリティッシュ?インヴェイジョン

 62年に正式デビューしたビートルズも、デビュー前やデビュー直後はまさにブリティッシュ?ビートの代表といった感じで、アメリカでは特に注目されることもなく、ファースト?アルバムがマイナー?レーベルからリリースされている。
 しかし、彼らが他のバンド達と違っていたのは、高い作曲能力を持つメンバーが2人もいたことと、あらゆる音楽を吸収?消化することによって、次々とサウンド?スタイルを変え、後に○○ロックと名付けられるサウンドの原型を創り上げていったことだ。彼らはすぐにイギリスで爆発的な人気を集めるようになり、翌年にはアメリカへもその人気が飛び火した。そしてなんと、64年には全米チャートに5曲同時ランクインという偉業を成し遂げる。これらが火付け役となって、次々と同系統のイギリスのバンドがアメリカへ上陸し、全米チャートを独占した。このブリティッシュ?ビート人気爆発現象は後にブリティッシュ?インヴェイジョンと呼ばれるようになった。尚この現象は66年頃まで続いている。

3.アメリカン?ロックの始まり

 一方アメリカでも、当時国内で流行していたフォーク?シンガーのボブ?ディラン(左写真)がギターをアコースティックからエレクトリックに持ち替え、65年にはニューポート?フォーク?フェスティバルへポール?バターフィールド?ブルース?バンドをバックに従えて出演し話題になった。
 もっともその時は罵声を浴びせられたらしいが、その後ディランの曲をバーズタートルズシェールなどが次々とカヴァー?ヒットさせたことで、フォーク?ロックとして定着。そして、サイモンとガーファンクルママス&パパスなどの大人気グループの出現によって、アメリカ全土へ広まった。
 こういった動きはイギリスのアーチスト達にも影響を与え、ビートルズなどは積極的にこのサウンドも取り入れていた。

4.ロッカーズの敵対勢力「モッズ」

 イギリスではロックが若者に広く浸透してきた頃、革ジャン、リーゼント、バイクをこよなく愛するロックンローラー(ロッカーズ)達に対し、もっとクールで知的であろうとする集団が現れ始めた。彼らのスタイルは、一見トラッド風を着崩した洒落た装いとVespaのスクーターをこよなく愛し、音楽はザ?フーにのめり込む。またドラッグも覚醒系と決まっていて、昼間は真面目な少年少女の仮面をかぶり、晩は夜通し大暴れする。60年代初期に出現したイギリスのこのスタイルを「モッズ(Mods)」と呼び、ロックとファッションが結びついた現象として、イギリスのロック?ミュージシャン達に後々まで影響を及ぼすことになる。MODSの語源はModernistsあるいはModernsの略だと言われ、モッズ系のロッカー達は、モダン?ジャズやR&Bから発展したロックを好んだ。また、ザ?フーの他、スモール?フェイセズヤードバーズなどがモッズの代表的バンドと言われ、そのブームは65年頃までつづいた。
ちなみにファッション界での、いわゆるモッズ?ファッションは、1957年にロンドンのカーナビー?ストリートで開店したジョン?ステファンの店から広まったとされる。日本ではひと足遅く65年頃からモッズ?ファッションが登場したが、アイビー?スタイルやGS(グループ?サウンズ)ファッションと混交していたようだ。その後70年代後半、ポール?ウェラー率いるザ?ジャムが出現すると、モッズが一部でリバイバル?ブームとなった。この時のファッション?スタイルはパンクやニュー?ウェイヴと混じり合いネオ?モッズと呼ばれた。
(左写真はモッズ族の愛読雑誌「MODS」)

5.ブルースとロック

 話は前後するが、アメリカの黒人大衆音楽として、20世紀初頭から親しまれたブルースからは、優れたギタリストもたくさん輩出した。しかし、ほとんどの場合、現役時代または全盛期には日の目を見ず、その後白人リスナー達によって発見されるということが多かった。特に身近で本物のブルース音楽に接することが出来なかったイギリスでは、ブルースのギタリスト達に憧れ、ブルーノート(3音と7音が下がるブルース独特の音階)、シンコペ-ション(切分音。2小節にまたがる音を使用し、思いがけない場所にアクセントをつける)、唄の間に入る即興演奏といったブルース独特の形式を真似することが多かった。
 中でも人気があったのは、ロバート?ジョンソン、B?Bキング、T?ボーン?ウォーカー、フレディ?キング、マディ?ウォータース(右写真)などで、みな彼らのテクニックを盗み、取り入れることで、自分流のギター?スタイルを確立していった。

6.「ギターの神様」の出現

 イギリスにおいては、アメリカから渡ってきた楽器であるギター(ギターの原型はヨーロッパの弦楽器)は珍しく、ロック?バンドの中にあっても一番の人気楽器だった。当然人気のあるギターのパートは誰もがやりたがり、結果バンドで一番上手い人がギタリストとなれたわけだ。特に前記のブルースを上手く弾きこなせる人は名ギタリストと崇めたてられた。
 60年代半ばになると、その中でも、さらに並はずれた腕前を持つスーパー?ギタリストが登場し、一気にギターとブルースロックがブームとなってゆく。ロック界で最初に天才ギタリストとしてその名を轟かせたのは、今も尚現役のエリック?クラプトンである。ブルース?ギタリストの中でも、トリッキーなプレイのフレディ?キングから多くを学んだクラプトンは、チョーキング?ビブラート
(注1)やヴァイオリン奏法(注2)といった、ロック?ギターの基礎中の基礎となるテクニックを広めた張本人なのだ。それだけでなく、クラプトンはライヴ演奏で、何十分でも観衆を飽きさせることなくソロを弾きまくることができる、類い希なる才能の持ち主で、そのアドリヴ?センスの良さは、まさに神業であった。いつしかクラプトンは「ギターの神様」と呼ばれるスーパー?スターとなっていった。
その少し後には、今度はレス?ポールやチェット?アトキンスなどジャズ系?カントリー系のギタリストからインフルエンスを受けたジェフ?ベックが登場し、その独創的で圧倒的なテクニックに他のギタリスト達は驚愕した。初期のベックが奏法として初めて完成させ有名なったものにフィードバック奏法
(注3)がある。
以来この2人のギター?スタイルは、ロック?ギターの手本として、すべてのギタリスト達に何らかの影響を及ぼしている。

(注1)弦楽器は通常、弦を押さえた指を左右に揺らしビブラートをかけるが、クラプトンの場合、BB?キングなどがやっていた、弦を指で上下に引っ張るチョーキングを取り入れ、そのまま細かく上下動させてビブラートをかけた。現在のロック?ギターでは当たり前のテクニックだが、当時の他のギタリスト達はどうやって弾いているのかわからず、ライブで見てビックリしたという。
(注2)まだフット?ペダル(足で踏むアタッチメント)が無い頃、ギター本体に付いているボリュームつまみを小指で回しながら弾き、バイオリンの音のような効果を出した。ジェフ?ベックはさらにトーン?スイッチまでいっしょに回すという神業を平然とやってのけていた。現在ではボリューム?ペダルを使用するため、そういった職人芸はみられなくなったが、奏法としては今でも生きている。
(注3)これも今では珍しくない奏法だが、ギターをわざとアンプに近づけ、ハウリングのような共鳴音を引き出す。これをうまくコントロールすることによって、通常音が響いている長さより長く音を延ばしたり、キンキンした高音を出すことができる。この奏法を取り入れ、派手にやって有名になったアーチストに、ジミ?ヘンドリックスやカルロス?サンタナがいる。


2004年10月19日

Hypnotic Underworld<2004>

Ghost have been haunting (sorry, but it is the best word) the psychedelic underground since 1986. Ever since their classic self-titled 1990 debut full-length, this Japanese collective have developed into one of the most important advocates of deep head muzik. Basically, Ghost were Terrastock material way before Terrastock was a fixture on the drone-rock landscape.

Over the course of six albums (including the live set, Temple Stone), Ghost’s music has moved from pastoral British folk to the mantric-satori drone rituals of ‘70s Japanese collective Taj-Mahal Travellers to acid-spiked Buddhist temple services to the tribal percussion/ecstatic chant jams Amon Düül I ground out in the late ‘60s. Led by guitarist/vocalist Masaki Batoh Ghost find strength in fragility, a typically Zen achievement for this very Zen-like outfit. Now, nearly five years after Ghost’s last recordings—the one-two punch of Snuffbox Immanence and Tune In, Turn On, Free Tibet—the group return with their strongest effort since 1996’s Lamarabirabi.

To generalize, Hypnotic Underworld is Ghost’s prog-rock move. While still solidly rooted in ancient folk modes, thanks to liberal use of archaic tools like bouzouki, tin whistle, Celtic harp, and bells, this disc promenades down some particularly fruity paths that recall prog’s florid excesses. (A cover of Dutch cult faves Earth & Fire’s delicately beautiful “Hazy Paradise” hints at Ghost’s approach on Hypnotic Underworld, as Batoh falsettos over dewy electric-guitar riffs and Mellotron oscillations.)

Album opener “God Took A Picture Of His Illness On This Ground” (actually the first movement of the four-part title track) may mislead listeners into thinking they’ve stumbled into one of Taj-Mahal Travellers’ soul-shaking concerts by the sea. Ghost conjure a sparse atmosphere constructed of squealing guitar feedback, sluggish bass, Celtic harp strokes, wistful recorder, bells, twittering Korg synth, ululating sax, and slowly rumbling drums. The gradual accrual of sonic elements coalesces into an eerie overture that foretells many mysterious passages to come. It’s the kind of centipede-paced scene-setting that’ll separate the true heads from the avant-rock dilettantes.

Things pick up with “Escaped And Lost Down In Medina,” as a serpentine bass line and sinuous recorder waft over rapid, Cecil Taylor-esque piano runs and downtempo rimshots, and “Aramaic Barbarous Dawn”’s gnarled power chords (courtesy of Michio Kurihara’s guitar) and a chorale of “ooohhhh”s. Unfortunately, Batoh dampens the excitement with his trademark flat voice (if anyone ever needed reverb and other effects on his pipes, it’s Batoh). The title suite concludes with an infernal 20-second Ruins-like acceleration into oblivion aptly titled “Leave The World!”

Hypnotic Underworld’s second half begins the prog-rock odyssey with the aforementioned “Hazy Paradise,” and then dips a dainty toe into the idyllic folk of “Kiseichukan Nite.” The band’s supremely fragile instrumentation, Batoh’s whisper, and dripping water, transport you to a first-millennium teahouse; only a hypnotic bass line worthy of Cecil McBee indicates this is a modern recording. The album’s next four songs roam from mellow bliss outs to storming Jethro Tull-like waltz rock to ballads full of Pink Floydian pomp to rambling Druid ceremonies enacted with bouzouki, tin whistle, and typical rock instrumentation.

Ghost finish this peculiar opus with a rendition of Syd Barrett’s “Dominoes—Celebration For The Gray Days,” off his self-titled solo debut. Barrett’s morose, slurred waltz is an ideal vehicle with which Ghost to ride into the sunset. The group transforms the original into a hazy ballad with flute, slide-guitar sighs, and twinkling keyboards. Then a door slams and an organ fibrillates to fill a hypothetical cathedral with what could be Charlemagne Palestine’s holy chords. Batoh’s voice gets filtered through a Leslie speaker, an acoustic guitar chugs, bells toll, and Barrett’s original is but a distant memory.

As sumptuous and sublime as much of Hypnotic Underworld is, Ghost tend to noodle too long, even for long-attention-spanned folks like your reviewer. (And while we’re carping, Batoh is sometimes prone to melodramatic wailing his drab monotone can’t support.) Still, I’d rather hear Ghost’s overreaching ambition and exploratory excess than the stunted machinations of most current indie rock.

2004年10月13日


ア~オ


アート?ロック ART ROCK

サイケデリック?ムーブメントを体験したミュージシャン達は、68年頃よりクラシックやジャズなどあらゆる音楽を取り入れ、さらにプログレッシヴなサウンドを追究するようになっていった。その新しい音楽を日本のレコード会社がひとまとめにして“アートロック”として69年に大キャンペーンを行った。その面々は、ジミ?ヘンドリックスクリームジャニス?ジョップリンレッド?ツェッペリンヴァニラ?ファッジアイアン?バタフライBS&T(ブラッド?スエット&ティアーズ)、シカゴアル?クーパー等である。(HINE)



アシッド?サウンド ACID SOUND

サイケデリック?ムーブメントはロックだけでなく、他の音楽にも影響を及ぼした。例えば、ウッドストック?フェスティバルでも大活躍した、ファンク?アーチスト、スライ&ザ?ファミリーストーンなどは、ロックとソウルを融合させ、ファズギターを使うなど斬新なサウンドで、ジェームス?ブラウンが生み出したファンクを広く大衆に知らしめたが、ドラッグの力を借りていた部分が大きく、70年代以降はしだいにその影響で体ごと蝕まれていった。(HINE)



アンビエント?ハウス AMBIENT HOUSE→


アンプラグド UNPLUGGED

アメリカの音楽専門ケーブルTV番組「MTV」が1989年10月からスタートした、電気楽器を使わないスタジオ?ライヴのコーナー。提唱者は70年代にファンキー?キングスやジュールズ&ザ?ポーラー?ベアーズとして活動していた、ジュールズ?シアー。当初は同コーナーの司会を務めていたジュールズが、出演者と一緒に最後に生楽器を持ち寄り軽くセッションするというものだったが、しだいに人気コーナーとなり、92年エリック?クラプトンの出演によって大ブレイク。クラプトンの完璧なまでのステージはアルバムとしても発売され、1,400万枚ものセールスを記録した。(HINE)



イージー?リスニング EASY LISTENING

BGM(バック?グラウンド?ミュージック)として聞き流せるような、耳障りでない心地よい軽音楽。1968年にフランスのポール?モーリア楽団が「恋は水色」を全米No.1ヒットさせ、イージーリスニングというジャンルを確立。その後、レーモン?ルフェーブル、フランク?プールセル、リチャード?クレイダーマンなどのスターを輩出し、以降80年代初頭まで人気を維持する。



インディーズ INDIES

Independent Record Labelsの略で、80年代以降に現れた、独立系マイナー?レーベルを指す。マイナー?レーベルとは本来販売網を持たないレコード会社のことで、メジャー?レーベルの傘下になることで販売は親会社に委託していた。しかしパンク以降、レコードの販売活動まで自前で行う独立系レーベルが数多く出現し、一部のマニアックなファン達の間だけに流通するマーケットを形成した。これらインディーズ?レーベルからデビューすることは、派手な広告などはしてもらえない代わりに自由な創作活動ができるといううま味もある。(HINE)



インストゥルメンタル INSTRUMENTAL

略称インスト。ヴォーカルのない楽器演奏のみの音楽。ロック界でインストものが時代の潮流になったことはないが、ビートルズ出現前夜のアメリカでは、ベンチャーズをはじめとするエレクトリック?ギターを中心としたグループが数多く存在した。ロック界で有名なインスト系アーチストには、ジェフ?ベック(クロス?オーヴァー)、フォーカス(プログレ)、タンジェリン?ドリーム(ジャーマン?ロック)などがいる。(HINE)



インプロビゼーション IMPROVISATION

「アドリブでプレイする」ことを指すが、日本語で表すと「即興演奏」という言葉があてはまる。60年代~70年代初頭では、ライブでのインプロビゼーションがあたりまえのように行われていたが、これはブルースやジャズからの影響を受けたクリームの面々が、すさまじいインプロビゼーション?バトルを披露して有名になったことから、1つのロックの形式として定着したのだろう。(HINE)


ウインド?ミル WIND MILLモッシュ&ダイヴの項()参照



ウエスト?コースト?ロック WEST COAST ROCK

アメリカの西海岸を思わせるカントリー色の強いロックで、元は60年代後期に現れたバッファロー?スプリングフィールドを取り巻く一派と言われている。その後ポコ、ロギンス&メッシーナ、クロスビー?スティルス?ナッシュ&ヤング(CSN&Y)、リトル?フィート、イーグルス、ドゥービー?ブラザーズなどが活躍し定着した。特に70年代半ば、イーグルスとドゥービー?ブラザーズの相次ぐ大ヒットにより人気が高まった。60年代半ばに活躍したママス&パパスなどのウエスト?コースト?サウンドも彼らのルーツ?サウンドである。実はウエスト?コーストの代表的バンドであるイーグルスのメンバーは、全員ウエスト?コースト出身ではなく、ロサンゼルスを拠点としたバンドであった。(HINE)


エイト?ビート EIGHT BEAT

ロックの基本的なリズム?パターンで、4/4拍子で1小節を8分割した8つの8分音符がビートの基本単位となるリズム。普通2と4拍目にアクセントが来る。この言葉自体がロックを指す場合もあるが、これはまったくの和製英語である。(HINE)



オルタナティブ ALTERNATIVE

ブルースやロックという大きな枠のジャンル付けがあるとすれば、R&Bはブルースの進化ジャンル。ハードロック等はロックの細かいジャンル。
それらの枠以外で、なおかつジャンルにとらわれないロックを、オルタナティブロックという。
現在の場合、そのほとんどがハードロックの延長と、テクノとの融合や、UKロックの要素を混ぜ合わせたUSロックを指す。(KK)





カ~コ


カンタベリー?ミュージック CANTERBURY MUSIC

66年に結成されたジャズ?ロックの祖ソフト?マシーンと、彼らを取り巻く、共通の音楽的要素を持ったミュージシャン達による音楽の総称。ソフト?マシーンのメンバー達がイギリスのカンタベリー出身であったことに由来する。彼らの共通項は、売れることよりも音楽至上主義で、いかに理想の音楽を創り上げるかが優先される。独特のジャズ?ロック?スタイル、ユーモラスな表現、一見解りやすいのに実はとても難解な語り口などでが特徴。主なミュージシャンには、ソフト?マシーン、キャラヴァン、ヘンリー?カウ、ゴング、ハットフィールド?アンド?ザ?ノース、マイク?オールドフィールド、ロバート?ワイアット、ケヴィン?エアーズなどがいる。(HINE)



ギグ GIG

本来は公演、興行と言った意味だが、大きな会場でのコンサートと区別する意味で、小会場での演奏会に使う言葉。(HINE)



ギミック GIMMICK

いかさま。ごまかし。生演奏ではあり得ないような音を、最新のレコーディング技術や後加工によって実現させることへの軽蔑的な意味を込めて使う。(HINE)



クインシー?ジョーンズ QUINCY JONES

80年代には“大統領の次に忙しい男”と形容されたほどの売れっ子プロデューサーで、「フュージョン」の生みの親でもある。主にブラックミュージックやジャズアーチストを中心にプロデュースを手がけ、そのアルバムは次々と大ヒットした。
クインシー自身も50年代から活躍していた、ジャズ?ミュージシャンだったが、70年代あたりから他のブラック系アーチスト達のプロデュースを手がけるようになり、79年にはマイケル?ジャクソンのソロデビュー作「オフ?ザ?ウォール」を大ヒットさせ、一躍脚光を浴びる。その後、ジョージ?ベンソン、チャカ?カーン&ルーファス、ブラザース?ジョンソン、パティ?オースティンなども大ヒットさせ、アルバムの裏に“Q”マークが入っているだけで売れるという状態までつくりあげた。また、自らも「愛のコリーダ」などのヒットを放つ。
85年のアフリカ救済支援アルバム「USAフォー?アフリカ/ウィー?アー?ザ?ワールド」では、指揮者もこなし、その人望の厚さでロックやブラック?ミュージック、カントリーなど様々なジャンルを越えた有名アーチスト達をたくさん集めた。(HINE)



グラム?ロック GLAM ROCK

中性的イメージで、化粧やきらびやかな衣装を特徴とする70年代初期現れたアーチスト達。音楽的にもは演劇的なステージや物語的コンセプトアルバム作りなど、国籍不明のポップアート?アーチストという感じが強かった。今でいうビジュアル系アーチストの祖先とも言える。代表アーチストは、デビット?ボウイT?レックスロキシーミュージックなどだが、ここから進化した形ではルー?リードアリス?クーパーなどもいる。(HINE)



グランジ(グランジ?ロック) GRUNGY(GRUNGE ROCK)

80年代のヘヴィ?メタル全盛期を否定した、90年代のブーム。
それまではアメリカのLAメタルがアメリカンキッズの心をつかんでいたが、シアトルロックが登場し、それらのバンドをグランジと呼んだ。
その大きな差は、主にスタイルや衣装に違いを見せる。それまでのヘヴィ?ロックのハデハデしいボンテージ系衣装を一掃した。
現在ではジーパン等の衣装はめずらしくないが、グランジブームがその発端であった事は否定できない。要は衣装等の外見にとらわれずに、自由に音楽を表現した。今は死語に近い。(KK)



クロスオーヴァー CROSSOVER

ジャズ?ロックがロックの楽器を使ったジャズ演奏であったのに対し、ジェフ?ベック(g)は70年代初頭より、ロック?ビートのままジャズやソウル的アプローチをロックに持ち込み、ジャズとのクロスオーヴァー?サウンドを模索していた。そして75年、ついに「ギター殺人者の凱旋」というアルバム発表によって、独自のサウンドを確立させた。
もっとも、それ以前からジャズ界の帝王マイルス?デイヴィスらがジャズ側からのクロスオーバー?サウンドを模索しており、70年代にはいると、その門下の一派達が続々とロック的アプローチを示しはじめいた。中でもチック?コリア(kb)/アル?ディメオラ(g)/スタンリー?クラーク(b)によるスーパーバンド“リターン?トゥー?フォーエバー”や“ウェザー?リポート”“ジョン?マクラフリン&マハビヌシュ?オーケストラ”などがジャズ側からのクロスオーヴァー?サウンドを同時期に完成させ人気を得ていた。そしてこれらのサウンドを総称して「クロスオーヴァー」と呼ぶようになっていたが、後にクインシー?ジョーンズらが押しすすめるフュージョン?サウンドといっしょにされ「フュージョン」と呼ばれるようになっていった。(HINE)



ゴールド?ディスク GOLD DISC

50万枚以上のセールスをあげたシングルおよびアルバムに対し、アメリカ?レコード工業会(RIAA)公認で贈られる金メッキのレコード。ちなみに日本のゴールドディスク大賞の場合は、邦楽100万枚以上、洋楽50万枚以上となっている。(HINE)



コンポーザー COMPOSER

Composeとは作曲の意味で、コンポーザーは作曲者のこと。ロックの基本は自作自演であり、たいていの場合はバンド内にいるメンバー、もしくはソロ?アーチスト本人がコンポーザーであることが多いが、中には専門に他のアーチストのために作曲する人もいる。ケニー?ロギンス、ブライアン?アダムス、シェリル?ウロウなどは当初そういった仕事をしていた。(HINE)




サ~ソ


サイケデリック PSYCHEDELIC

精神科医のH?オズモンドが、LSD(1943年スイスの製薬会社によって発見された合成幻覚剤)の大量投与を人格解放療法だとして考案し、これをサイケデリック?セラピーと名付けたのが語源。1963年LSDの虜になってしまった名門ハーバード大学の心理学助手、ティモシー?メアリーは大学を追放され、メキシコにサイケデリック研究センターが建てると、自らサイケデリック運動の教祖として芸術家達へ想像力を高める薬としてLSDを薦めた。しだいにそこへヒッピー達が集まるようになり、あっという間に若者の間にLSDとサイケデリック運動が広まっていった。60年代後半、このヒッピー発祥の地サンフランシスコを中心に、サイケデリック文化は全米を席巻する。アシッド?サウンド、サイケデリック?ロック(アシッド?ロック)もこの時生まれ、相互関連のない複数のモチーフが脈絡なく現れたり、音を異常に歪めたり増幅したりした。また歌詞も内的で破壊的で色彩的、時には意味不明な状態であった。
サイケデリック文化の1つとして、ヒッピー/フラワームーブメントがあるが、当時のロックの世界もサウンドのみならず、レコードジャケットなどにもその影響が残されている。また、この時代の真っ只中に開催された、伝説のウッドストックフェスティバルはヒッピー達とロック?アーチスト達の最も象徴的なサイケの祭典であった。
代表的アーチストは、グレイトフル?デッドジェファーソン?エアプレインジミ?ヘンドリックスジャニス?ジョップリンドアーズ、クイックシルバー?メッセンジャー?サービス等だが、少なからずこの時代を通過したアーチスト達は一時期アシッド?サウンドを体験している。ビートルズクリームピンクフロイド等もそうだ。(HINE)



サザン?ロック SOUTHERN ROCK

アメリカ流ブルース?ロックはイギリスのそれとは異なり、もう少し泥臭いカントリー/フォーク色の強いものであったが、70年代に入ると南部黒人音楽独特のルーズでシンプルなサウンドをより強調し、独特なサウンドに発展させたミュージシャンも現れだした。その中でも、70年にエリック?クラプトン率いるデレク&ドミノスの大ヒット曲「いとしのレイラ」へデュアン?オールマンがギターソロで参加して、当時ギターの神様と呼ばれていたクラプトンと対等に渡り合ったことから、一躍オールマン?ブラザーズ?バンドが脚光を浴びるようになった。しかしデュアンは翌年バイクで事故死、ベースのベリー?オークレーも2年後に他界と不運に見舞われ、急激に同バンドのカリスマ性は失われた。つづいて人気を誇ったのが73年結成のレーナード?スキナードであったが、こちらも77年、飛行機事故によりメンバー3人が他界するという不運に見舞われる。しかし、80年代にはZZトップの大活躍により再び、サザン?ロック健在を示した。(HINE)



産業ロック CO-OPERATE ROCK

70年代中盤以降ピーター?フランプトンの「フランプトン?カムズ?アライブ」やフリートウッド?マックの「噂」などが、ロックアルバムとしては桁違いの売れ行きを見せ、他のベテラン?アーチスト達もこぞって、ポップでキャッチーな曲調で、シングルヒット狙いの曲を出し始めた。80年代に入ると、巨大化した欧米の音楽産業界はこうしたアーチスト達を使って、緻密なマーケティングと徹底したプロモーションで効率よくヒットを量産しだした。批評家達は軽蔑の意味を込めてこれらを「産業ロック」と呼んだ。よく批評家達の標的にされたのは、ジャーニーボストンスティックスカンサスボンジョヴィ達で、その元祖はグランド?ファンクということになっているらしい???。(HINE)



ジャズ?ロック JAZZ ROCK

65年頃よりジャズのポップ化も始まり、通常ヒットチャートなど無縁なジャズ?ミュージシャンがスマッシュヒットを放つなどの現象が起きてきた。しかし、その動きとは別に、ロック?ミュージシャンの側からのジャズ的エッセンスを加味したサウンドも60年代末頃には現れだした。そのジャズ的エッセンスとは、主にホーンセクションを多用するということで、“ブラスロック”というイメージが強い。後に出現するフュージョンとは少し異質のもの。ブラッド?スエット&ティアーズなどはその最も成功した例だ。しかし、中には完全にジャズを電子楽器で演奏している感じのソフトマシーンなどもいた。(HINE)



ジャングル JUNGLE

90年代にイギリスのレイヴ?シーンから登場した、ハードコアやテクノなどが混在してできたオリジナル?ダンス?ビート。ブレイク?ビーツに焦点を絞り、それを中心に再構成させた音楽。ドラムン?ベースも同義語。(HINE)




タ~ト


デルタ?ブルース DELTA BLUES

1930年代にフォークソングやダンスナンバーをレパートリーにしていた黒人達が、白人に強制された「教会」での宗教歌「ゴスペル」の影響を受けて、それまでの「ワーク?ソング」を発展させた音。ミシシッピー?デルタが発祥の地と言われることから「デルタ?ブルース」と言われる。
特徴としてビンの口や鉄棒を左手のセ~ハ~の変わりに使い弦の共鳴を得るスライド奏法がよく使われる。曲調は暗く重くドロドロ!!
クリームが「Stop&Listen」「Cross road」でコピーしているのが有名。他にもジミ?ヘンドリックスジョニー?ウインターキース?リチャードなどに影響を与えている。
また、86年に公開された映画「クロスロード」(クラシック?ギターを学ぶ少年が「ブルース」に憧れハープ吹きのお爺さんとアメリカ南部を旅して「本物のブルース」に出会うといった内容)では、スティーブ?ヴァイや(自身もラストに登場して弾きまくり!)ライ?クーダー(主にスライド?ギターのリフ担当)が挿入歌やリフを弾いて再び注目をあつめた。
<お奨め>:ロバート?ジョンソン「コンプリート?レコーディングス」SONY SRCS-9457、サン?ハウス「ファーザー?オブ?ザ?デルタ?ブルース」SONY SRCS-5958 (とらふぐ)


ドゥーワップ DOO-WOP

50年代から60年代初頭にかけて人気を博した1ジャンルで、R&Bをベースにしたヴォーカル?グループの歌唱スタイル。アカペラのコーラスをより洗練させたようなサウンドでもあり、通常4~5人のメンバーでハイ?テナー、セカンド?テナー、バリトン、バスというように分かれて、アコースティック?ピアノなどに合わせて唄われる。
流行末期には、白人グループも数多く現れ、ロックンロールのバック?コーラスへも影響を与えた。(HINE)



ドラムン?ベース DRUM & BASS

ドラム&ベースの略称。ジャングル(→)とも同義語。(HINE)




ナ~ノ


ニュー?ウェイヴ NEW WAVE

ポスト?パンクを宣言したジョン?ライドン(元ピストルズ/vo)がPILを結成して以来、レゲエやダブ(音に奥行きをもたせるイコライジング効果)の導入やリズム重視、サウンドスタイルの実験性などを追求したバンドが現れた。あの初期衝動的な破壊と叫び(パンク)の後の知性と美学とも言うべきスタイルのこれらのアーチスト達は、高度な音楽性をシンプルなサウンドの中に隠蔽した。このパンク以降の先進ロックをニューウェイヴと呼んだ。その最も代表的なバンドが、スティング率いるポリスブロンディだった。(HINE)


ニュー?スクール NEW SCHOOL

90年代になって盛んに使われだした言葉で、ハード?コア/パンクの中でも、特にメタル寄りのハードなサウンドのものを指す。SCHOOLとは「群れ」のような意味で使われ、「新しい一派」といった感じなのだろう。(HINE)



ニュー?ロマンティックス NEW ROMANTICS

ニューウェイヴが80年代に入ると大衆化し、アイドル系グループも数多く登場した。彼らのファッションスタイルは80年代版グラムロックとも言うべきものだったが、その化粧やスタイルは、以前のグラムとは違って、ゲイ文化の影響によるものが大きかった。サウンド的にはポップでテクノのりのものが多いので、誰にでも聞き易く、一挙に産業化していった。ジャパンウルトラボックスデュランデュランカジャ?グーグー等がその代表。もっとポップ寄りのところでは、カルチャークラブやスパンダーバレエ等がいた。(HINE)



ノイズ?ミュージック NOISE MUSIC

1970年代後半ドイツから発生したロックで、ジャーマン?ロックのニューウェイヴ版とも言える実験的な要素が強い音楽。金属的な破壊音やノイジーな電子音が延々と続き、工事現場を思わせることからインダストリアル?ミュージック、ファクトリー?サウンドなどとも呼ばれることがある。(HINE)




ハ~ホ





ハウス HOUSE

現在のハウスの流れは大きく2つに分類できるが、1つは、80年代半ばから流行した歌ものリミックスを中心とした、シカゴハウス。もう1つは、それらがイギリスへ飛び火してユーロビートなどと結びつきテクノサウンドになったものだ。これをテクノと呼ぶ(ポップは付かない)。(HINE)



ハード?ロック HARD ROCK

60年代後半にイギリスを中心に、ブルースロックを基礎とした、より音が大きくディストーションがかかり、ヘヴィーなリフの繰り返しと長めのギターソロを特徴としたロックが出現した。70年代初頭ハードロック御三家と呼ばれるレッド?ツェッペリン、第2期ディープ?パープルブラック?サバスが大ヒットを放つと、急激にハードロック人気は加速し、70年代中期には全盛を極めていった。そして、78年デビューのヴァン?ヘイレンを最後に急失速していった。ハードロックの歴史は優れたロック?ギタリスト達の歴史でもあり、この全盛期はギタリスト花形時代とも言われた。その最後の大物エディ?ヴァンヘイレン以降、オリジナリティのある優れたギタリストが出現しなかった(イングヴェイなど、うまい人はいます)ことも、ハードロック人気衰退の要因になった。全盛期に活躍したアーチストは、この御三家の他、ユーライア?ヒープマウンテングランドファンクカクタススージークワトロUFOPARISスコーピオンズレインボーBBAクイーンエアロスミスキッスブルー?オイスター?カルトAC/DCジャーニーシンリジィミスターBIGテッド?ニュージェントランナウェイズ、そして初期のヴァンヘイレン達だ。その後、ハードロックは、その様式美だけを追求したヘヴィメタルに取って代わられることとなる。(HINE)



ハードロック御三家

69年にレッド?ツェッペリンがデビューし、その大音量と重低音のサウンドが話題になると、70年には、それまでプログレ的なサウンドを目指していたディープ?パープルも突然、大音量でスピード感のあるサウンドへと方向転換して大ヒットした。同年、大音量ロックで悪魔や黒魔術などをテーマにしたブラック?サバスもセンセーショナル?デビューを果たし、ハードロックの確立に大きく貢献した。その後70年代後半まで、この3つのバンドは、ハードロックの王者として君臨し、大人気を保ちつづけたのだった。
また、80年代に出現するヘヴィ?メタル?ブームでは、この3バンドが手本とされた。(HINE)



バブルガム?ロック BUBBLE GUM ROCK

バブルガムとは風船ガムのことで、「分かりやすい」「楽しい」「低年齢層向け」などの形容として使われる。ロックだけでなく、これらの共通したサウンドのことをバブルガム?サウンドと言い、ソウルではバブルガム?ソウル、ポップスではバブルガム?ポップ、ロックではバブルガム?ロックといった風に使われる。(HINE)



パンク?ロック PUNK ROCK

70年代半ば頃、ニューヨークのアンダーグラウンドでは一種の反社会的芸術運動のようなものが起きていて、そんな中にパティ?スミストーキング?ヘッズもいた。当時ロンドンで“SEX”というブティックを経営していたマルコム?マクラーレンは、アメリカへ渡った際、そういう彼らに興味を持ち、一時ニューヨーク?ドールズのマネージャーとなる。
マルコムは75年テレヴィジョンを脱退した、リチャード?ヘルをロンドンでデビューさせようと画策するが失敗。代わりに自分の店の店員や客を集めて“セックス?ピストルズ”を結成させ、彼の破れたシャツ、逆立てた短髪、安全ピンルックなどを真似をさせた。そして、76年自らもマネージャーとなり「アナーキー?イン?ザ?UK」で、そのバンドをデビューさせた。
ピストルズは瞬く間に、その安全ピン?ファッションや破壊的言動&行動で有名になり、産業化とともに保守化したロック界に大きな衝撃を与えた。
当のピストルズはアルバム1枚のみを残し、アメリカツアー途中で早々に解散してしまったが、この影響からニューヨークとロンドンを中心に、続々とシンプルなロックンロールサウンドに反社会?反ロック的メッセージをのせたバンドがデビューし、一大ブームとなった。ストラングラーズクラッシュザ?ジャムエルヴィス?コステロラモーンズなどがその代表。(HINE)


ヒップ?ホップ HIP HOP→



ファンク FUNK

ジェームス?ブラウンらが1960年代半ばに完成させたリズム&ブルースの新しいスタイル。リズムに最大の特徴があり、曲構成やコード進行は単純。黒人特有の跳ねるビートを前面に出したサウンド。その後このスタイルは白人達の間にも広まり、白人達が演るファンクをホワイト?ファンク、黒人のファンクをブラック?ファンクと呼び分ける場合もある。90年代初頭には、ジャミロクワイがファンクとロックを結合させ現代風にアレンジしたエレクトロ?ファンク?ロックという独自サウンドを完成させた。(HINE)



フォーク?ロック FOLK ROCK

アメリカのC&W(カントリー&ウエスタン)から派生したフォーク?ミュージックに、ボブ?ディランがエレクトリック?ギターを持ち込み(65年)、ロックのリズムで唄いだした時から、フォークロックの歴史は始まった。ブルースロックがハードロックを誕生させるのに大きく貢献したように、フォークロックは、これ以降のソフト系ロックやアメリカの泥臭いサウンドのロックへ多大な影響を与えている。フォークロック全盛期の60年代前半当時ヒットしていたのは、ボブ?ディランの他、バーズママス&パパス、タートルズ、サイモン&ガーファンクルなどがいる。(HINE)



ブギ(ブギウギ) BOOGIE WOOGIE

もともとは1920年代頃、黒人たちの間で広まったブルース?ピアノの奏法。右手で旋律を弾き、左手でビートを刻み、ビートは原則として8分音符。しかし、しだいにノリのよいアップテンポのR&Bもブギと呼ぶようになってゆき、ロック界では、R&Bベースでなくても8部音符のノリのよいサウンド全体をブギと呼ぶようになっている。代表的な例ではエルヴィス?プレスリーの「ハウンド?ドッグ」、チャック?ベリーの「ジョニー?B?グッド」、クイーンの「愛という名の欲望」まどがある。また、ハードロックと組み合わされたハード?ブギは、ステイタス?クオーが得意とし、他にもフォガットなどが追従している。(HINE)



フュージョン FUSION

60年代末にジャズ界の帝王マイルス?デイヴィスがジャズにロックやファンク、アフリカン?ビートを取り入れ新しいサウンドの模索をはじめたのがフュージョン?サウンドの発端といわれている。その後マイルス一派の“リターン?トゥ?フォーエバー”“ウェザー?リポート”“ジョン?マクラフリン&マハビヌシュ?オーケストラ”などがそのサウンドを完成させ、ロック側からもジャズやR&Bとのクロスオーヴァー?サウンドを完成させたジェフ?ベックの「ギター殺人者の凱旋」「ワイアード」や、スティーリー?ダンの「幻想の摩天楼」「Aja」などが立て続けに全米で大ヒットしたことにより、一挙にフュージョン?サウンドはメジャー化した。またもう1つの動きとして、クインシー?ジョーンズ一派が押し進めるジャズ、R&B、ファンク、ポップスなどの融合サウンドもほぼ同時期に完成し、その一門であるジョージ?ベンソンの「ブリージン」が全米No.1に輝くなど、めざましい活躍ぶりを示しはじめていた。当初はマイルス一派やロック界の融合サウンドを「クロスオーヴァー」、クインシー一派を「フュージョン」と分けて呼んでいたが、しだいにこのカテゴリーのマーケットが強大なものになると、「フュージョン」という名前に統一され、1つのジャンルとして認知されるようになった。(HINE)



フラワー?ムーブメント FLOWER MOVEMENT

ヒッピー?ムーブメントの中から出てきた平和主義的な運動で、頭に花を飾ったり、ビーズをあしらった服を着たり、裸足で歩いたりして、原始的な生活を送ることにより、現代文明を批判し、平和運動を実現しようというムーブメント。これがサイケデリックと結びつき、当時の代表的文化となって、アーチスト達のアルバムジャケット?デザインなどにも大きく影響した。(HINE)



プラチナ?ディスク PLATINUM DISC

アメリカ?レコード工業会(RIAA)公認で100万枚以上のセールスを記録したミュージシャンに対し、レコード会社から贈られるプラチナ貼りのレコード。さらに、200万枚のセールスを記録したものはダブル?プラチナム、300万枚を記録したものはトリプル?プラチナムと呼び、それらを総称してマルチ?プラチナムと言う。(HINE)



ブリストル?サウンド BRISTOL SOUND


ブリット?ポップ BRIT POP

ブリットとはBritainまたはBritishの意味で、90年代半ばに出現したイギリス的なポップスの総称。しかし、この言葉はグランジなどアメリカン?ロックに押されていたイギリス音楽業界が生み出した苦し紛れの呼称で、ほとんど実体はない。たまたま94~96年ぐらいにかけて大活躍したブラーとオアシスがビートルズ的なメロディをもっていただけで、音楽的新しさはない。(HINE)



ブリティッシュ?インヴェイジョン BRITISH INVASION

イギリス系アーチストが全米チャートを独占してしまった時期、ブリティッシュ人気爆発現象を指す。
第1次ブリティッシュ?インヴェイジョンは1964年~66年、ビートルズがアメリカ進出を開始した頃から始まり、ローリング?ストーンズザ?フーアニマルズキンクス、デイヴ?クラーク?ファイヴ、ハーマンズ?ハーミッツなど、おびただしい数のブリティッシュ系アーチスト達がアメリカで成功を収めた。
これにより、当時ロックンロール全盛だったアメリカへ、ロックのもつ無限の可能性を指し示し、今日のようなロックを世界的に一般化させた。
また、その14~5年後の80年代初頭にも、今度はユーロビートを持ち込み、当時流行し出したばかりのケーブルTV番組「MTV」でのヴィジアル効果も最大限に利用して、イギリス系アーチスト(デュランデュラン、カルチャークラブ、ハワードジョーンズ等)が大ブームを巻き起こした。これを第2次ブリティッシュ?インヴェイジョンと呼んでいる。
この現象の後、純粋な古典的ハードロックは衰退の一途をたどり、大物アーチスト(クイーン、デビッド?ボウイ、キッス等)までもが、ディスコティック?サウンドに犯されていくのであった???。(HINE)



ブルース?ロック BLUES ROCK

ブルース自体は1900年代初頭、アメリカ南部の黒人の間で生まれたものだが、エレクトリック?ギターの出現とともに、R&Bやソウル、ファンクへと進化をとげていった。
いっぽう60年代になると白人もブルースに興味を持ち、白人ブルースバンドも出現するようになっていったが、折しもその頃、白人の間ではロックンロールが流行しており、ロックンロールとブルースの結びつきは当然の成り行きだったといえる。ビートルズ登場と時を同じくして(62年)、このブルースロックの流れも活発化していき、その後68年のクリーム解散あたりまでエリック?クラプトンを核にして、大きく広まっていった。
また、その後のロックが発展していくのに、大まかに分けると2系統の道筋があり、その一つが、このブルースロックを経ていくもので、もう1方がフォーク?ロックを経ていったものであったと考えられる。ハードロックギタリストのほとんどの場合、ブルースロックの方に影響を受けている。
ブルースロックで成功したアーチストとしては、どっぷりつかったポール?バターフィールド?ブルース?バンドジョン?メイオール&ブルース?ブレイカーズスペンサー?デイビス?グループや、ブルースロックとハードロックの橋渡しをしたクリーム、テンイヤーズアフター、初期のフリートウッド?マックなどがいる。もちろん、その後もずっと変わらずにブルースロックを演奏しつづける、ジョニー?ウインタークライマックス?ブルース?バンドなどもいた。(HINE)



プログレ四天王

69年キングクリムゾンのヒットは、それまで、サイケデリック?サウンドを引きずりながら、混沌としていたプログレ系バンドの方向性を一気に変貌させた。中でも、クリムゾンを脱退したグレッグ?レイクらが結成したエマーソン?レイク&パーマー(EL&P)、デイヴ?ギルモアの加入により、息を吹き返したピンク?フロイド、ジョン?アンダーソン率いるテクニカル集団イエスらが、いち早く音楽性を確立させ、プログレ界では先のクリムゾンと合わせて、プログレ四天王と呼ばれ絶大な人気を誇るようになった。(HINE)



プログレッシヴ?ロック PROGRESSIVE ROCK

69年にキング?クリムゾンの衝撃デビュー?アルバム「クリムゾン?キングの宮殿」が、全英チャートで同じ時期にチャートインしていたビートルズの「アビーロード」を抜き1位になった時から、それまで幅広いジャンルの音楽をクロスオーヴァーして実験的手法を繰り返し、細々と活動つづけていたイエスやキャラバンなども一挙にメジャーへとのし上がった。それまである程度の成功を収めていたピンク?フロイドも他のサイケデリック?バンド同様、その後の方向性を模索しているところだった。キング?クリムゾンの登場は、そういった迷えるサイケバンド達の行くべき道を方向付たとも言える。
70年代に入ると、いわゆるプログレ御三家と言われるイエス、デイヴ?ギルモアが加入したピンク?フロイドEL&P(エマーソン?レイク&パーマー)が大活躍し、70年中期頃まで全盛を極めた。(注)キング?クリムゾンを加え、プログレ四天王とも言う。
また、プログレには音楽的性質上インストゥルメンタル部分が多いこともあり、発祥の地イギリス以外からも世界規模で活躍するバンドが数多くいた。これらをユーロ?ロックといって別にジャンル分ける場合もある。
主なバンドは、キング?クリムゾン、イエス、ピンク?フロイド、EL&P、ジェネシスキャラバンキャメルムーディ?ブルース等。ユーロ系ではフォーカスPFMタンジェリン?ドリームなどがいた。初期のディープ?パープルやジェスロ?タル、中期のホークウインドなどもかなりプログレに近い。
70年代末期には、これらのグループのほとんどが全てのアプローチを出し尽くしてしまい、解散もしくは失速、ポップなどへ方向転換して行くが、80年代中期には、ネオ?プログレッシヴを掲げ新たなグループ達も誕生する。(HINE)



プログレッシヴ?ハード(プログレ?ハード) PROGRESSIVE HARD

70年代終盤になると、クラシックベースのサウンドゆえにヨーロッパでしか流行しないだろうと思われていたクラシック系プログレッシヴ?ロックも、しっかりとアメリカに根付いていった。しかしアメリカでは、よりハードなものが好まれ、思想や内面的なものよりも形式的なものやテクニックが重要であった。そうしたところから、ハードロックとプログレ双方の様式美を併せ持つ、プログレ?ハードへと変化した形で受け入れられていった。初期の代表アーチストでは、カンサスラッシュあたりが有名だが、80年代以降の技巧派スラッシュ?メタルから進化した形では、ドリームシアタークイーンズ?ライチなどが登場した。これらはプログレ?メタルとも呼ばれる(HINE)



ヘヴィ?メタル HEAVY METAL

ヘヴィ?メタルとは、ロックの形式の中で、激しさ、重厚感、スピード、荘厳性などの雰囲気を、いくつかの典型的な様式によって特に強調して表現するスタイルである。その表現とは、歪んでよく延びるエレクトリック?ギター?サウンド、基音に5度上の音を加えた2つの音によって構成されるパワーコードを効果的に使って組み立てたヘヴィさをうまく醸しだすリフなどである???(200ロック語事典/立風書房)
また、評論家の渋谷陽一氏が好きなのがハードロックで伊藤政則氏が好きなのがヘヴィ?メタルだという笑い話もある。いずれにしろ、明確な定義はないのだが、80年代前後から現れ、80年代中期~末期に黄金期を築いた古典的ブリティッシュ?ハードロックの後継者達だ。その手本とされているのは、ハードロック御三家と呼ばれたツェッペリン、パープル、サバスやユーライアヒープあたりだが、その模倣にとどまらず、情緒性を極力排除した独特のスタイルで、新しい美学様式を形成していった。
「ヘヴィ?メタル」という言葉は、そもそも米国作家ウイリアム?バロウズによって初めて使われたが、ロック界では、映画「イージーライダー」のテーマ曲ステッペン?ウルフの「ワイルドで行こう!Born to be Wild」(68年)の中に出てくるのが最初。
ヘヴィメタ黄金期を支えた面々は、ハードロックからの過渡期に現れたヴァン?ヘイレンスコーピオンズジューダス?プリーストMSGに始まり、アイアン?メイデンデフ?レパードサクソンホワイトスネイクイングヴェイ?マルムスティーンジョー?サトリアーニスティーヴ?ヴァイパンテラなどである。そして、80年代後半には速度を売りにするスラッシュ?メタル(メタリカ等)、悪魔崇拝や死の世界を表現するデス?メタル(デス等)、終末感を表現するドゥーム?メタル(カテドラル等)などへとサブ?ジャンル化していった。(HINE)



ボトルネック BOTTLENECK

昔スライド?ギター奏法を行う際、瓶の首を切ってスライド?バーとしていたことから、指にはめるスライド?バーのことをボトル?ネックと呼ぶようになり、デュアン?オールマンが出現した頃(70年代初頭)より、スライド?ギター奏法自体もボトル?ネック奏法と呼ぶようになった。(HINE)


 




マ~モ


ミクスチュア?ロック MIXTURE ROCK

ヘヴィ?メタルとファンク、この相対する2つの音楽が80年代中期、アメリカの西海岸のグループ、レッド?ホット?チリ?ペッパーズフィッシボーンによって合成され結実した。
彼らは、ファンキーなリズムにスラッシュ?ギター?リフを絡ませ、ファンクのヨコノリとヘヴィメタのタテノリを自在に引きだした。この乾いたサウンドは、まさに西海岸的であり、スケーターやボーダー達に絶大な人気を得た。(HINE)




モッズ MODS →


モッシュ&ダイヴ MOSH & DIVE

激しいパンクやヘヴィロックのライヴ会場で行われる観客どうしの行為で、ステージ近くに行き、曲にノッて体をぶつけ合ったり、人垣に向かって突進したりすることをモッシュまたはモッシュ?ダンスと言う。Slum Danceスラム?ダンスも同義語。また、モッシュしている人たちの上に乗る行為をダイヴ、手をぐるぐる回しながら右往左往することをWIND MILLウインド?ミル(直訳すると風をかき回す)などと言う。もともとスタンディング?タイプ(立ち見)の小規模なライヴ?ハウスでよく行われていた行為だが、最近では比較的大きく空いている会場でも行われるようになり、危険なため演奏を中断せざるを得ない状況も多々あるようで、事前に禁止するアナウンスをすることが多くなってきている。ミュージシャン側も音楽を聞きに来たとは思えないこういった行為に頭を悩ませているようだ。(HINE)




ヤユヨ




ユーロ?ビート EURO BEAT

パンクブーム以来、ニューウェーヴの流れは完全にブリティッシュ主導となっていったが、その音楽傾向はロックのみならず、ポップスにまで影響を及ぼした。その中にテクノ?ポップやノイズ?ミュージックなどがある。
特にテクノ?ポップは日本が誇る世界的和製アーチストYMOのビッグ?ヒットなどもあり、イギリスでは絶大な人気を博した。このコンピューター?ミュージック独特の早いリズムを強調した軽快でポップなサウンドをユーロビートと呼び、スクエアな4ビートが異常に強調され、それにのって16ビートが適当なパターンで繰り返されるという特徴をもっている。
この後、80年代初頭にはユーロ?ビートはアメリカへ渡り、FUNKなどと共に大ディスコ?ブームをつくりあげていくのであった。
また、96年のジャミロクワイの世界的大ヒットにより、再びダンス系ビートが注目され、翌年頃からベテラン?アーティストとともにユーロビートも復活を果たしている。日本でも小室哲也プロデュースによって、ユーロビートやジャングル?ビートが大ブレイクしたのは周知の通り。(HINE)





ラ~ロ,ワ


ライナーノーツ LINER NOTES

レコードやCDに付いている解説書。通常音楽評論家や音楽雑誌の記者などが書く場合が多い。特に英語が標準言語でない日本では、ライナーもアルバムの重要な要素であり、解説ライターの人気がそのままそのアルバムのセールスに結びつくこともあるくらい重要な位置を占めている。代表的な人気ライターでは、ハードロックやR&Bに詳しく文章自体も面白い渋谷陽一氏や、ヘヴィメタルにめっぽう強く資料性も高いライナーを書く伊藤政則氏などがいる。(HINE)



ラップとヒップホップ RAP&HIP HOP

ラップは70年代初期にニューヨークで発祥し、スクラッチやブレイクダンス、極彩色ペインティングなどと共にニューヨークの黒人達の中で育った。これら一連の文化をヒップ?ホップという。
82年にはグランドマスター?フラッシュ&フューリアス?ファイブが「ザ?メッセージ」をヒットさせ、ラップはついに全米規模の広がりを見せるようになる。
86年には、ランDMCがエアロスミスの「ウォーク?ディス?ウェイ」をカヴァーし大ヒット(このヒットで、ほぼ引退状態にあった、エアロスミスも息を吹き返し、再び第一線で活躍するようになったのは周知の通り)、ヒップホップ人気を決定づけた。さらにビースティー?ボーイズのハードロックの名曲からの数々の引用などもあり、ヒップホップは世界的規模でブームとなり90年代半ばまで全盛を極める。(HINE)




ラテン?ロック LATIN ROCK

今日ではラテンロック=サンタナというイメージが完全に定着しているが、69年のウッドストックでサンタナが衝撃デビューを果たすまでは、ブラジル音楽をロックビートで演奏したセルジオ?メンデス&ブラジル’66やラテン系ポップスがラテンロックと言われていた。しかし、サンタナが出現し、その音楽的完成度の高さから一躍ラテンロックが脚光を浴びると続々と同じタイプのバンドがデビューを果たした。その中でも、マロやエルチカーノなどは人気を得るが、結局サウンドの融合がうまくいかずに進歩がなく、飽きられる形で姿を消していった。一方サンタナは、10年に一度毎のビッグヒットや常に変化をつづけるサウンドで、今もなお第一線で活躍している。(HINE)



リズム&ブルース→R&B



リバプール?サウンド LIVERPOOL SOUND

ブリティッシュ?ビート、マージー?ビートなどの言葉も同類の意味を指す。
60年代前半、ビートルズを中心に、リバプール出身のアーチスト達が数多く活躍したことから、ロンドンやマンチェスターなども含み、この時代に全英規模で爆発的に流行したポップサウンド全体を指している。
特徴としては「オリジナルの楽曲が多い」「アタッチメントなどを使わない、クリアなエレクトリックサウンド」「ギター主体のグループ演奏」「シャウト?スタイルのヴォーカル?ハーモニー」などがあげられる。(HINE)




リミックス RE-MIX

すでに発表済みの曲をミックス?ダウン段階からやり直し、バージョン違いの曲を作ること。80年代から盛んに行われるようになり、近年では大幅にオーバーダビング部分を追加したり、元の曲が分からなくなるくらい手を加えたものまで出現している。(HINE)


ルーツ?ロック ROOTS ROCK

80年代の終盤~90年代にかけて、オルタナティヴやグランジ系のアーチストが、カントリーやスワンプ、ブルースなどのエッセンスを曲の1部に取り入れるという手法が流行した。それはしだいにエスカレートし、ついには本物のサザン?ロックやカントリー?ロックの新人アーチストまで生み出してしまうことになる。そして、そういった古典的なロックのことを90年代にはルーツ?ロックと呼ぶようになっていった。(HINE)



レア?グルーブ RARE GROOVE

1970年代のB級ファンク。80年代以降のラップ?ミュージックで引用されたり、クラブDJたちにバック?トラックとして使われたりするうちに、その原曲自体が再びブームになることがある。そういった曲をレア?グルーブと呼ぶ。(HINE)



レイドバック LAID BACK

リラックスしたムードを意味し、サザン?ロックなどアメリカ南部音楽独特のルーズな雰囲気に対して使われる。70年代初頭、アメリカへ渡ったエリック?クラプトンが、これらの音楽に強く影響されサウンドを激変させてから、レイド?バック?サウンドとして特に脚光を浴びるようになった。(HINE)



レイブ RAVE

1988年にイギリスで生まれたダンスの新しい動向。自由な踊り方で、自己解放することを目指すもの。その後エスカレートし、1万人規模の屋外大パーティーにまで発展するようになると、ストーン?サークルを作ったり、モノリスを想起させる2本の黒柱の周りを8の字を描きながら踊ったりと、サイケデリック時代のヒッピーにも似た精神性を持つレイブ?カルチャーを産み、90年代にはアメリカや日本にも飛び火した。(HINE)



ロックンロール ROCK’N’ ROLL

黒人R&Bと白人C&W(カントリー&ウエスタン)を合成によって生まれた音楽で、1955年頃より流行した。最盛期はビートルズが活躍し出した63年頃までで、ロカビリーやその後の様々なロックの基礎となっている。
また、代表アーチストとしては、“ロック”という言葉を初めてメジャーにさせた「ロック?アラウンド?ザ?クロック」(1955)のビル?ヘイリーチャック?ベリーエルビス?プレスリーバディ?ホリーリトル?リチャードチェット?アトキンス、ジェリー?リー?ルイス、ボビー?ダーリン、エディ?コクランなどがいる。(HINE)




ロカビリー ROCKABILLY

50年代後期に流行したロックンロールとヒルビリー?ミュージック(大衆音楽を取り入れた民族音楽)を合成した音楽で、発祥はメンフィスのサン?レコードというアメリカ南部のローカル?レーベルに所属するアーチスト達であったと言われる。有名アーチストでは、そのサン?レコードに所属していたビリー?リー?ライリー、ウォーレン?スミス、カール?パーキンス、初期のエルヴィス?プレスリーや他に「ビーバップ?ア?ルーラ」で有名なジーン?ヴィンセント、ジョニー?バーネット、等がいる。
また、ロカビリーはイギリスでは根強い人気があり、80年代にも“ネオ?ロカビリー”の呼称のもと、ストレイ?キャッツやロバート?ゴードン等のスターが生まれている。(HINE)




ローファイ Lo-Fi

ハイファイ化する一方の音楽環境に対するアンチテーゼ的サウンド。カセットテープやシングル盤レコード、おもちゃ楽器などを積極的に使い、テクニックやスタイルだけでは収まらない音作りの可能性をさぐるもの。グランジという言葉が、カート?コバーン(ニルヴァーナ)の他界によって、形だけのものになってしまった後、新たにメディアで囁かれ始めた言葉。(HINE)


ワールド?ミュージック WORLD MUSIC

1987年頃からイギリスの音楽業界で使われ始めた用語で、先進国以外の土着性の強いポピュラー?ミュージックを指す。これらをワールド?ワイドに紹介することで、英米の音楽に飽きたリスナーにも刺激を与え、音楽業界全体を活性化しようと画策された。ロック界では80年代前半からすでにレゲエやアフリカン?ビートを取り入れたサウンドがニュー?ウェイヴ層を中心に横行していたが、しだいにアジアや北欧などへもイメージをふくらませていった。また90年代に入ると、ヒーリング?ミュージック?ブームに乗って、特にヒーリング効果があるとされるケルト?ミュージック(アイルランド音楽)が注目されることとなった。




A~K


AOR (ADALT ORIENTED ROCK)

アダルト?オリエンテッド?ロックの略で、中年になった、かつてのロック世代を狙ったメロウなポップ?サウンドのロックのこと。
この手の音は古くからあったが、78年にソロデビューした、ミスターAORことボビー?コールドウェルの「風のシルエット」の大ヒットにより一躍脚光を浴びるようになった。
他には、ハードロック?バンド“パリス”を辞めソロになったボブ?ウェルチボズ?スキャッグスバーティ?ヒギンス、ルパート?ホルムズなどがいる。
余談だが、ボビー?コールドウェルはキャプテンビヨンドの同姓同名のドラマーとは別人です。(HINE)




HR/HM

Hard Rock/Heavy Metalの略。80年代のヘヴィメタル全盛期には、ヘヴィメタ人気に乗じてベテランのハードロック?バンド達をも売りこもうとするレコード会社の戦略が見え隠れした。しかし、古くからのハードロック?ファンからはヘヴィメタルとの明確な差を求められたため、苦肉の策としてこのような表記がなされたのだと思われる。尚、HM/HRという表記がなされることもあり、どちらに重きを置くかでHRとHMが前後する。(HINE)




L~Z


MOR Middle Of the Road

中道という意味。ジャンルの枠にとらわれない、解りやすい音楽。AORというジャンル分類がないアメリカでは、イージーリスニングやフュージョンとともにAORもこの分類に入れている。




NWOBHM (NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL)→





R&B(リズム&ブルース) RHYTHM & BLUES

1940年代に登場し、50年代中期まで全盛を極める黒人大衆音楽で、ブルースからの発展型。
それまでのビッグバンドによる演奏法を小さな演奏ユニットにし、ジャズやドゥー?ワップ、バラードなど多彩な音楽を吸収し、ロックンロール登場への橋渡しをした。後のロックンローラー、チャック?ベリーリトル?リチャードなども、元は正統派R&Bシンガーだった。(HINE)




UKロック&コアパンクブーム U.K. ROCK & CORE PUNK BOOM

90年代に入り、ニルヴァーナの登場から様々な、ラップとの融合やテクノの融合などが見直され、アメリカではUKロック(オアシスなど)のメロディーや歌詞を重視したサウンドに魅了された。
また、スノーボードブームが到来。そのイメージビデオ等でインディー系のコアパンクミュージックが多く使われ、グリーンデイやオフスプリングがメジャーデビューした。
日本では”メロコア”と呼ばれるこのジャンルは、ハードロックとパンクの混じった物の様な物である。(KK)





1~9


3大ロックギタリスト

60年代後期より活躍し、ギタリスト達の間で絶大な人気を誇っていたエリック?クラプトンジェフ?ベックジミーペイジの3人はヤードバーズという同じバンドに在籍していたことから、3大ギタリストと呼ばれてさらに注目を集め、常に比較される宿命を背負っていった。当時の批評家達の評価はこうだ???「ギターの神様クラプトン、孤高の天才ロックギタリスト?ジェフベック達と一般人ジミーペイジを比べるのはあまりもかわいそうだ」とか、「クラプトンやペイジは大成功を収め第一線で活躍しているのに比べ、なんともベックは地味すぎる」など???
ジミーペイジ?ファンのために弁護しておくと、この3人はまったく違うプレイ?スタイルであり、比較すること自体意味の無いことだが、当時はギタリスト花形時代であり、ソロ?パートでいかに派手に決めるかが注目の的であった。ペイジのスタイルはプロデューサーとしても活躍した彼らしく、バンド全体のサウンドを殺さないようコンパクトなソロ?パートとリズム中心の組み立て方であった。これはその後登場したヘヴィメタル系バンドの模範となるスタイルで、先進性という意味では一歩先をゆくものであったのだ。また、クラプトンがヴォーカリストとして活躍し始めた頃、「昔神様、今ただの人」などと言われた時期もあったが、ジミ?ヘンドリックスやデュアン?オールマンでさえクラプトンを夢見てデビューしているわけで、現在のハードロック系ギタリストは間接的にしろ、すべてクラプトン奏法に何らかの影響を受けていることを思えば、やはり今でも神様に違いないだろう。
ベックについては、誰がどこから見ても天才とわかりますね(^_^) (HINE)

2004年10月10日

王国维先生写人间词话在前,阿镗仿其体写乐话在后,兼且自扰清静,岂非庸人所为?本文因之得题。

作曲 ,一要真感情,二要想象力,三要功力。缺一者,不宜作曲。

巴哈是作曲的百代宗师。以小变大,以简变繁,以单声部变多声部,以一调变多调,皆无人能及。后世作曲者,凡宗巴哈而又有个人风格者,均可领若干风骚。不学巴哈,就像书法不习颜柳,作诗不读李杜。此所谓“能师物心者,必先师于人”也。

一般人对音乐作品的印象感受,无法离开对演唱演奏的印象感受而独立存在。就此意义说来,没有好的演唱演奏,便没有好的作品。所以,作曲者如没遇到满意的演唱演奏者,宜把作品暂锁抽屉,也不要拿出来让人糟蹋。

俗人赏旋律,雅士赏意境,行家赏功力。能赏意境与功力者,必能赏旋律;能赏旋律者,未必能赏意境与功力。此雅俗、高低有别也。

旋律、意境、功力,三者既不可分又可分。得其一者已入流,得其二者是上品。三者皆备,乃是雅俗行家共赏,登堂传世的上上之作。

功力所指,一是变化、发展素材的能力。二是运用和声的能力,包括和弦连接的逻辑性和色彩变化等。三是写作和安排对位素材的能力,包括声部进行的理路清楚,横的流畅进行顾及纵的立体效果等。四是安排和创作节奏的能力。五是写声乐曲要熟悉和发挥人声的特点,写管弦乐曲要熟悉和发挥各种乐器的特点。六是结构全曲的能力,包括前、中、后的互相关联呼应和各段落,各声部比例与对比的恰到好处。

巴哈的音乐,意境高绝,功力盖世,旋律不算特长,篇胜于句,所以是雅赏行家多于俗赏。舒伯特的音乐,旋律极美,意境如诗,技巧功力尚未臻登峰造极之境,大型作品句胜于篇,所以是雅俗赏多于行家赏。圣桑的作品,旋律华美,技术一流,可惜欠缺深远的意境和弦外之音,有篇有句而无动人心弦之力,所以是俗赏家多于雅赏。

莫扎特的音乐,不以雕琢便旋律、意境、功力三者兼备,有如天生丽质的少女,无需妆扮便人见人爱。此乃高绝不可学之处。有人把莫扎特比李后主,不当之极。比之陶渊明,则稍近矣。同样是出乎自然,不争,不燥,清爽,脱俗,貌似简单枯槁,其实浑厚丰满,听之吟之,可平静心境,得无穷余味。

论音乐的博大精深,无过于贝多芬。讲内涵,他的作品充满对人类的关爱和人性、人情味。喜,怒,哀,乐,温柔,幻想,挣扎,搏斗,胜利,超越,无所不有。讲风格,有宗教,有古典,有浪漫,甚至有一点现代。讲旋律,世界各地无处不在唱他的欢乐颂,无人不爱听他的小提琴协奏曲。诟病贝多芬旋律贫乏的史特拉文斯基辈,那里写得出这样美而多的旋律?讲功力,他发展变化素材及和声对位的功力直追巴哈,写作大型奏鸣曲式的成就前无古人,更是用音乐表现戏剧性的开山师祖。乐圣贝多芬,诗圣杜甫,一西一中,像两座长明的灯塔,指引雾海中人类的航船,不至全迷方向。

听勃拉姆斯的音乐,令人联想到黄宾虹和李可染的山水画——大巧似拙,厚重无比,初接触可能不喜欢,但越听越看,越觉其美其味皆无穷无尽。

十一

各种形式无所不写,无所不精,又兼有旋律、意境、功力者,唯柴可夫斯基一人。然而,与巴哈、莫扎特、贝多芬、布拉姆兹等超凡大师相比,总觉柴氏尚矮几分。何故?格调稍低,深度稍浅也。就格调来说,怜人者高,怜已者低;为他人伤心者高,为自己伤心者低。就深度来说,内向者高,外向者低;表现精神世界者高,表现外界景物者低。情不能无,无情便冷;情不可滥,滥情便俗。此中分寸,只有几位超凡大师拿捏得恰到好处。

十二

李斯特的作品,意境深远不如贝多芬,清丽脱俗不如莫扎特,诗情万种不如萧邦,但极具刚阳之美,充满王者气派。他提携萧邦,激赏华格纳,立乐人相重的万世典范。对比之下,相轻相贱之后来乐人,能不汗颜?

十三

萧邦情多才高,粒粒音符,滴滴血泪;一件乐器,万种色彩;似水柔情,征服世界。帕格尼尼与之相比,便显得有才华而无情怀,有外表而无内在。故帕氏只是现代小提琴技法的开山师祖,萧邦则在作曲上与几位超凡大师并排。

十四

德国人严谨,其音乐也特别讲究逻辑和结构,所以能大。即使是二、三十分钟一个乐章的庞然大曲,也前、中、后互相紧密关联呼应,秩序整然,大而不散不乱。法国人浪漫,中国人散漫,所以法国音乐富色彩,中国音乐长旋律,却都少有大而严密的作品。

十五

勃辽兹、德彪西、拉威尔三位法国作曲家,均以色彩见长。勃氏的管弦乐配器色彩开宗立派,德氏的和声色彩前无古人,拉威尔则兼有二人之长。

十六

中国的戏曲音乐,单靠旋律便把唱词的意境表现发挥得淋漓尽致。这方面实为西洋歌剧所不及。可惜限于种种条件,始终是旋律孤军奋战,以至逐渐不敌各路军马联合作战的西洋歌剧。乐界豪杰之士,何不揭竿而起,集中西优点,另辟战场,建功立业?

十七

歌剧音乐,“一要与歌词感情吻合,二要表现出人物性格,三要符合时代与民族风格。”此乃深辨其中甘苦的至理名言。持此标准评论,写作歌剧音乐,必无大误。

十八

华格纳的歌剧天马行空,普契尼的歌剧出水芙蓉,莫扎特的歌剧羚羊挂角,威尔第的歌剧如泰山重。

十九

普契尼以旋律造意境,华格纳以功力造意境。世人喜爱普契尼者多,欣赏华格纳者少。曲高众难和,岂能不服气?

二十

华格纳与普契尼做人都一ta糊涂,音乐却高妙之极。可见,人都有两面。文,不一定如其人;乐,也不一定如其人。

二十一

美术善写景,音乐长抒情。最伟大的音乐作品,无不以抒情为主。传统中国器乐曲写景多于抒情;故少有深刻伟大之作。

二十二

写景之曲非无佳作。孟德尔松之“芬格尔海穴序曲”,德彪西之“月光”,都是美妙传神,极富创意之曲中上品。穆索尔斯基的“图画展览会”,斯美塔那的“莫尔岛河”,更是有景有情,情景交融得天衣无缝之作。然而,比之贝多芬的“命运”、“合唱”交响乐,气魄、深度、感人度,显然不能同日而语。

二十三

中国古琴音乐的空灵,浑厚,孤高,为西洋音乐所无所不及。相形之下,筝显轻浮,小提琴嫌花俏,钢琴觉累赘。如此独步中西的乐器,却日渐式微,不见容于今日之社会。曲高和寡,又一例证。

二十四

古琴音乐,贵在脱俗。作曲诸戒,首要戒俗。何谓俗?虚情假意俗,陈腔滥调俗,曲意迎合俗,狐假虎威俗,无病呻吟俗,轻浮油滑俗,争眼前名俗,贪非份利俗。诸病皆可治,唯俗无药救。

二十五

古典与流行之别,主要在“深厚”二字。在意境、音响、技巧、功力等方面,古典音乐无不力求深厚,流行音乐无不求浅薄。故优秀的古典音乐能达百听不厌,历久弥新之境;一般的流行音乐只能流行一时,转眼便云散烟消。

二十六

古典音乐也有深而不雅者,流行音乐也有浅而不俗者。前者如某些鬼气森森,怪乱剌耳的近世之作。后者如西洋流行歌“你照亮我的生命”,国语时代曲“夜来香”,粤语流行曲“小李飞刀”等。

二十七

古典之中,也有深浅之别。亨德尔与巴哈,罗西尼与贝多芬,帕格尼尼与萧邦,柴可夫斯基与布拉姆兹,普罗高菲夫与萧斯塔可维奇,史特拉文斯基与巴尔托克,放在一起相比,便显出前者浅后者深。浅者易被接受,深者耐听;浅者华美奔放,深者厚拙含蓄。似浅实深,深入浅出,浅深兼备者,莫扎特是也。

二十八

音乐的“厚”,首先来源自情感的深厚。情感深厚者,单一旋律也有厚度。其次,来源自和弦连接和声部进行的方向感和逻辑性。最后,才是来源自织体的厚度和中低音区的使用。

二十九

萧邦的“诗曲”,旋律凄美,意境深邃,功力高超,一曲已足留芳千古。萧氏虽英年早逝,应可无憾。

三十

写小品要才气,要旋律,要感情;写大品要功力,要结构,要理智。此所以写大品可学,小品不可学。才气高功力低的人,写小品易,写大品难;功力高才份低的人,写小品难大品易。大小皆能,则非才气功力皆高者莫辨。

三十一

舒伯特的歌曲和小品精彩绝伦,无人可及。史特拉文斯基的舞剧音乐和交响乐等大作品气象万千,一气呵成。二人可为一善小,一能大的代表者。

三十二

以四件弦乐器,便似有整个管弦乐团的厚度,色彩,气魄;兼有旋律,和声,对位,结构之美;又意境深远,百听不厌的,首推德彪西的弦乐四重奏。“创者易工,因者难巧”,是王国维先生论艺术创作的金玉良言。然也非无例外。海顿是交响乐和弦乐四重奏形式的创造者。可是,论气象,深度,成就,显然贝多芬、布拉姆兹、萧斯塔可维奇等后来者青出于蓝,更工、更巧、更大。

三十三

孟德尔松的音乐远离血泪,充满快乐与光明。马勒的音乐尽是悲苦,处处可感不幸与无奈。同为犹太裔作曲家中才华高绝的顶尖人物,却代表世界的南北两极。不知这是偶然的巧合,还是上帝对其选民的精心安排。

三十四

意境为前人所未有,功力堪与前贤颉颃的萧斯塔可维奇交响乐,充满压抑感与反抗力,最宜胸中有郁结需抒解,有闷气需发泄之人听。

三十五

以音乐为国家民族立功立言,在有生之年便被尊为国宝者,有挪威的格里格,意大利的威尔第,芬兰的西贝柳斯等。中国历代没有音乐家被尊为国宝,不知原因何在,也不知这是中华民族的幸或不幸。

三十六

齐白石的水墨独步中外古今,首在一个“趣”字。以“趣”求诸乐,克莱斯勒的小品似之。

三十七

古今由演奏家为协奏曲所写的装饰奏(或译作华彩乐段),以克莱斯勒为贝多芬小提琴协奏曲所写的最精彩,最见功力。一般人以为克氏只会写旋律,听听此段,便知这位乐界奇才发展组织素材和对位的功力,均达匪夷所思之境。呜呼!克氏之后,未见有来者。

三十八

贝多芬之第五号,布拉姆兹之第二号,柴可夫斯基之第一号,三首带降记号的钢琴协奏曲,充满刚阳美。听之奏之,阴气尽扫,阳光遍地,精神大作。

三十九

以感人之深为古今协奏曲排名,德沃夏克的大提琴协奏曲第一。曾令笔者洒落男儿泪的,仅此一首。

四十

如果容许主观地给前人的无标题音乐加上标题,真想称布拉姆兹的小提琴协奏曲为“人生”。曲中有暴风雨,有阳光,有挣扎,有和平,有爱情,有眼泪,有深思,有奋起,有欢乐,有凯旋……可说人生各样,尽在其中。以音乐写人生,史美塔那的弦乐四重奏“我的一生”及柴可夫斯基的A小调钢琴三重奏,均未达此境。

四十一

“凡音乐皆有标题”,似是而非之说也。较之文学、美术、戏剧等,音乐是更抽象,更高深之艺术。其好处在于同一乐曲,可以有多种铨释,可以让听者有多种联想,多种感受。硬给无标题音乐套上标题,犹如剪鸟翼,绑马腿,徒令广者变窄,深者变浅。

四十二

理查.斯特劳斯的交响诗首首带标题连解说,有如绝代佳人穿了一身拥肿俗气却脱不掉的衣服,真煞风景。相信天下人看美女,都不喜欢看衣服穿得太多的,可何况是面纱,头巾,裹脚布。

四十三

音乐以无标题最上,有标题次之,每段均有标题又次之。到每段每句都用文字来解说时,便流于庸俗,附会,累人,把音乐抒情、抽象的特点、长处全部抹煞干净。可惜一般外行人偏喜用文字故事来解说音乐,以为爱乐,其实害乐。中国音乐的落后于西方,多少与中国人偏爱标题,乐曲中具象多,抽象少有关。

四十四

乐之荀贝格,颇似词之姜白石。才高八斗,全用于堆砌雕琢,故其作品格高情少,虽经得起分析推敲,却难为世人接受。因情竭才多而创之十二音列作曲法,无异窒息生机的新八股。近人作曲不宗巴哈而宗荀贝格者,作品大都言理不言情,有骨而无肉,有肉而无血。

四十五

今人并不因宋诗比唐诗新而更爱宋诗。何故?高下有别,非关新旧也。动辄以新荣以旧耻者,可曾想到一千年后,时人看吾辈作品,也只有高下之分,绝无新旧之别?

四十六

看中国诗、词、曲的发展史,最初都是因人有感要发,有情要抒而兴起,中间因有情有才之士介入而工,最后因缺情求工而衰落。以此观乐,当今世界主流作曲派的重堆砌计算而不重感情意境的作曲趋向,必引古典音乐走向没落之途。

四十七

三百年来,主流古典音乐的内容意境大略演变如下:赞颂上帝的虔诚心声——典雅高贵的宫庭情趣——奋起求自由平等的呼唤——多彩多姿,无拘无束的人生人生百态——冷艳奇丽的自然色彩——苦闷压抑的叹息与抗争——原始粗野的哭泣吼叫——歇斯底里,不阴不阳的燥音怪响。再往前看,柳暗花明恐无望,轮廻脱胎是其时。

四十八

乐评既打不倒一首真正的好作品,也捧不红一首平庸的作品,故西贝柳斯劝人“别把评论家的一派胡言放在心上”,并指出“世上从没有一座铜像是为评论家而建的”。充其量,乐评只是作者自我感观的发泄,只能给平淡寂寞的音乐生活增添一点热闹与生气。对阿镗的庸人乐语,也应作如是观。

[ 原载1949年12月25日《纽约时报》]

尽管所谓的现代音乐已经经历了近50年的历史,似乎,用不着怀疑,现在仍有成千上万善意的音乐爱好者认为:现代音乐听起来怪僻离奇。欲想完全体会到这些人听现代音乐的真实感受,唯一的办法是去观赏引起更多争议的毕加索的绘画作品,如《双首女人图》。我想,激进的新音乐撞击耳鼓之猛烈,恐怕类似于现代画触击眼目。想到这些绘画作品,我能理解那些未能领悟当代音乐的外行听众,虽然我本人作为作曲家对大多数新的音乐作品感觉很自然正常。

我想到,是否有可能帮助善意的听众能象我一样欣赏现代音乐。也许我首先应当澄清可能由于名称而引起的混乱。事实上,现在已经不再有所谓现代音乐了。因为“波普”爵士乐的乐师们接过了“现代音乐”一词。在百老汇“波普城”(Bop City)为“现代音乐”专场音乐会开始宣传时,这一过时名称的使命即告结束。人们现在把在世作曲家的新作品称作:“当代音乐”,或“新音乐”。这也许并不是一个富有魅力的别名,但至少是确切的。

过去(大约到1925年),我所说的这种音乐称为“极端的现代派音乐”,它遭到新闻界保守人士的不断攻击诋毁。值得注意的是,当时只有少数听音乐会的听众才可能视耳听到这种音乐。社会的其他成员或许曾读到过有关它的情况,但极少直接地听过它。如今,情况已有了根本的改变。新闻界开明多了,现在无论谁随意扭动收音的旋纽,两耳都有可能灌满这种音乐的危险。

不管人们怎样称呼它,现在几乎人人都能听出这种比较奇怪的、与众不同的音乐来。对于守旧的听众来说,这种音乐的目的性似有不同,而手法则显然不同。这些听众兴许会说:以前的音乐–古典音乐–似乎意在抚慰、引导灵魂,而新音乐却令人不安,显然意在破坏、搅扰心灵的平静。否则,又如何解释那些不和谐的和声、无调性的旋律、震耳欲聋的音响。混乱的节奏以及纯属理性的结构呢?

不懂音乐的人,会极其自然地把一切疑难音乐都简单地归在一个名称下给予贬斥。其实,即使是在过去”极端的现代派”音乐流行的日子里,也有许多不同类型的音乐被不分青红皂白地搀合在一起。特别是今天的新音乐,可以说有着一段异常复杂的经历。因此,如果按照各自音乐语汇理解的难易程度,划分主要的代表作曲家,以力求从中整理出一些头绪来,或许是有益的。

非常容易理解的:肖斯塔科维奇和哈恰图良、弗朗西斯·普兰克、艾利克·萨蒂,及勋伯格和斯特拉文斯基的早期作品,还有沃恩·威廉斯、弗吉尔·汤姆森。

比较容易理解的:普罗科菲耶夫、罗伊·哈里斯,维拉·洛博斯、欧内斯特·勃罗赫、威廉·沃尔顿。

相当难理解的:斯特拉文斯基的晚期作品、贝拉·巴托克,查维兹、米约,威廉·舒曼、奥涅格,布里顿、兴德米特、沃尔特·辟斯顿。

极难理解的:勋伯格的中期和晚期作品、阿尔本·伯格、安东·威柏恩、瓦莱斯、克连尼克、查尔斯·艾夫斯、罗杰·赛森斯。

上表只是一个大体的划分,如果人人都赞同倒是一件奇迹,好在列表目的并不是为了使人人同意。它仅仅表明,不应当把新音乐统统看作是一样难以理解的。勋伯格晚年的作品及其十二音派成员的作品是最难理解的,即使对于音乐家来说也是如此。听兴德米特、辟斯顿的作品,需具有一副懂得复调的耳朵;听维拉·洛博斯的作品,需知其色彩之丰沛;听普兰克和汤姆森的作品,需敏锐灵秀。听斯特拉文斯基晚年的作品,须爱其风格、精密与个性,听米约的作品,须喜其饱含嘲弄意味之音响。瓦斯是最难理解的一位,而最易理解的当然是肖斯塔科维奇。

但是,无论当代作曲家的风格是易于理解还是难以领悟,对于外行听众来说,记住作曲家的意图还是明智的。作曲家的意图未必是创造象肖邦和莫扎特那样美妙的音响。人们虽然想那样做,却未必可能。因为作曲通常不是出于喜好,而是由于需要。

如果一定要用简单的语言说明那些富于创造性的音乐家创作的基本意图的话,我会说,作曲家作曲是为了表达,交流及用永久的形式记录下某些思想,情感和现实状况。这些思想和情感是作曲家在与他所生活的社会的接触中逐渐形成的。他用他那个时代的音乐语言表达这些思想(是音乐思想,不可混同于文学思想)。由此而产生的艺术作品应以一种以前的艺术表现形式所没有的直截了当的感染力传达给与艺术家同时代的男男女女。

我对肖邦和莫扎特音乐的热爱并不亚于任何人,但这对我坐下来写自己的东西并无帮助,因为他们经历过的社会并非我所处的社会,他们的语言亦非我的语言。他们的音乐创作的基本原则,无论是在他们那个时代还是在今天同样都是令人信服的。然而运用同样的原则,可能而且确实产生了迥然不同的结果,这是问题的根本所在。

未入门的音乐爱好者如果仍坚持希望听到与过去时代的名作一样的音乐,并感到只能从中获得乐趣,他就仍会感到当代音乐有些特别。接触一部具有严肃命题的现代音乐作品,必须首先领会作曲家的创作意图,然后应准备听到对于音乐诸要素–和声、旋律,音色、结构等–不同以往习惯的处理手法。

欲阐明新音乐的某些特别之处,最好的办法也许是尽力回答下面几个人们最常问到的问题:为什么新音乐一定要那么不谐和?

要对这个颇为麻烦的问题做出令人满意的答复是非常困难的,因为音乐里的不谐和音纯粹是相对的东西。在你听来不和谐的东西,在我听来却可能相当悦耳。西方音乐的全部历史表明:我们的听觉能力日趋增长,以前听来极不谐和的和弦,现在听来却感觉悦耳宜人。那些蒙特威尔第和瓦格纳时代被视为罕见古怪的和声,被后来几代的普通音乐爱好者视为通用的手法。我们的时代加速了这一历史的进程。因为,如今任何和弦,无论它不谐和到何种程度,只要作曲家认为它的音响是“对头的”(指表达感情而言),并能与整部作品糅合在一起,就被视为是可用的。如果你发觉自己对过于不和谐的作品难以接受,这可能表明你的听觉尚不足以适应当代音乐语汇,而需要更多的训练–即多听。研读一段不谐和的和弦未必会使其听来悦耳,但反复听必能如愿。笔者饶有兴味地注意到,比波普–爵士乐的最新流派,正一直将愈来愈多的不谐和的和声结构加到流行音乐中去,因而引起了听众的抵制,这一情况与严肃作曲家在其领域里的遭遇相仿佛。

新音乐作曲家是否真的不重视旋律? 不,绝对不是这样。当今大部分音乐作品是注重旋律的。但不要忘记,旋律设计的概念已有变化。此外,讨论这一问题,不容易取得一个共同的基点,因为普通人脑子里的旋律概念是相当狭窄的。其实,旋律并不仅仅限于那些人们可以哼唱的曲调,可能要复杂得多,深奥得多,或拐弯抹角,支离破碎得多。在器乐曲创作中,旋律可能会远远超出人声的音区。你必须扩展自己对旋律的概念,才能跟上作曲家的思路。

现代旋律使人感到困难的部分原因在于和声。许多听众陷入陌生的和声的迷网之中,以至永远无暇辨听正在演奏着的曲调。由于具有严肃意图的音乐作品大都采用同时奏出的独立旋律,因此,即使是传统旋律听起来也需全神贯注,因为它是复调织体。所以,同样的体裁,如果旋律深奥些,则需要更加用心地听(有些作曲家–不只是当代的作曲家–往往在这方面做得有些过分,忘记了人的听觉的吸收能力是受到一定限制的)。总之,我是说,旋律确实存在,只是它不是人们可以立即听出来的那种类型。

说当代音乐缺乏情绪和感情,理性的巧妙构思多于浪漫色彩,对吗? 这一错误的见解,根深蒂固,不是简短的一段文字能够讨论清楚的。如果您听了一部当代作曲家的作品,感觉它冷漠且过于理性,那是由于您应用了一种不适用的比较标准。音乐爱好者大都意识不到自己受到浪漫手法的影响到何种程度。我们的听众习惯于把十九世纪音乐的浪漫主义看成是一切音乐,因为它过去是,现在仍然是,一种富有表情的音乐;可是,人们总是忘记,早在浪漫主义盛行前的几百年中就出现了许多伟大的音乐作品。

情形是这样的:今天的音乐作品中相当一部分与早期音乐的美学联系比之与浪漫主义时期音乐的美学联系更为紧密。浪漫派音乐家所表现的那种尽情的人格化的热情和冲动已非我所取。在你看来,这可能是件憾事。然而,事实是–可能是无法规避的事实:上个世纪末,无论怎么说,浪漫主义运动已经到达顶点,从那以后已再没有任何新的东西可以从中吸取了。

但是,即使是作曲家也感到难以摆脱浪漫主义的影响。所以,听众对此不能及时地理解就更不足为怪了。文学界没有设想让纪德(Gide)、曼恩,艾略特去学着维克多·雨果或沃尔特·司各脱的口吻抒发情感。那么,为什么要指望巴托克、米约去以舒曼或柴科夫斯基的嗓音歌唱呢?如果当代的音乐作品在你看来是枯燥乏味、深奥莫测的,似乎没有表达感情或情绪,那么从音乐的角度来说,很有可能是你不愿意生活在你自己的时代里。

在本文结束之前,我倒想提出我个人的一个疑问:为什么音乐听众似乎很不愿意将一部音乐作品(如果可能的话)视为一次挑战呢? 当我听到一部音乐新作,而又未能理解它时,我会为之发生兴趣–希望一遇机会就与它再次接触。这便是挑战,这使得我对音乐艺术的兴趣经久不衰。

可是,我沮丧地注意到,我个人的这种反应并不具有代表性。人们大都爱把音乐当作一把躺椅,希望高枕其上,以求解脱一天生计的紧张,放松一会儿,并得到一些宽慰。可是严肃的音乐决不是催眠曲,特别是当代音乐不是为了催你入睡,而是为了唤醒你而创作的。它意在使你振奋激昂–甚至可能使你疲惫劳乏。可是,你去看戏、读书,所寻求的不正是这样一种刺激吗?音乐又何以例外呢?

也许新音乐听来使人感到古怪的唯一原因是:在一般民众听音乐的过程中,与大量的普通音乐相比,新音乐听得太少了,而普通音乐年复一年地上演。广播和音乐会的节目,唱片商的广告,院校的课程–一切都在强调(可能是不经意的)这样一个概念:“正常的”音乐,即过去的音乐,是人们所熟悉的、业已证明其本身价值的音乐。粗略的估计表明,我们所听到的音乐中仅有八分之一可以称得上当代音乐–这一估计主要适用较大的演奏音乐的中心区。在这样的情况下,除非听众要求音乐演出者让他们多听听当代音乐,否则它就仍可能总是显得古怪。要是能经常让人们听到当代音乐就好了。

只有当耳朵对现代音乐的音响不再陌生的时候,我们才有可能冷静地从听觉体验上去评价现代音乐作品的艺术价值,而不是仅仅从它所表达的观念来评价它。遗憾的是目前的许多现代音乐评论还停留在不听作品只听言论的状态。

从听觉而不是从言论来检验一种音乐创作实践的得失,缘自这样的信念:音乐是为了听而存在的。这个不言自明的信念在20世纪表述起来竟是如此的困难!因为自大小调体系瓦解后,音乐创作的每个进展,似乎都必然地向着从听觉上摧毁传统音乐审美原则的方向迈进。现代音乐自信而坚定的哲学宣言,使得听众不能再用听觉不适应来支持自己的审美判断。自然而然地,“音乐是为听而存在”的信念就动摇了。在现代音乐发展的历史上,任何一种音乐追求,只要有一个明确的哲学宣言,就等于已经在艺术上站稳了脚跟;有了一个别出心裁的主意或一个深刻的思想,似乎就等于作品已经是成功的了。当作曲家把自己坚定的哲学立场、全新的艺术观和深刻的创作意图说得头头是道时,听众的耳朵就成了最不可信的摆设。人们在那些结构松散、音响杂乱的现代音乐作品面前失去了对自己审美判断力的自信。在现代音乐的世界中,主宰者是作曲家的宣言,附和者是评论家的文章,最没有发言权的就是听众的听觉体验。

当耳朵不再是音乐的检察官时,音乐创作的世界也就成了聪明头脑的竞技场。现代音乐的“哲学”招牌,与作曲家灵活的头脑、深刻的思想大大地掩盖了作曲者对声音的感受、想象及组织驾驭能力的不足。在20世纪,似乎音乐已经不再是听觉的感性对象,而成了哲学与思想的传声筒;音乐的功能似乎是作用于人的思想,而不是人的感受。但当我们的听觉真正能够清晰地把握一切音响样式时,当我们从人类生存的根本需要出发去看待音乐艺术的存在价值时,我们便不再轻信作曲家的哲学宣言、思想的表述,而要用自己的耳朵与心灵的感受来判断面前音乐作品的审美价值。

我们抱这样一个最简单的信条:音乐是给人听的,音乐艺术的本质功能是满足人的听觉感性需要,而不是认识的需要。“音乐是给人听的”这个简单、直白的信念来自于一个不能怀疑的事实:如果音乐的根本目的是为了使人获得某种思想、观念、哲理,那么文学、哲学、心理学、历史学等等人文学科自然要使音乐失去其存在的必要性;一个作曲家区别于常人的能力毕竟应该是对声音的想象力与组织、结构能力,否则的话,一个头脑灵活的聋子也会使经过专业音乐训练的音乐家望尘莫及。

在过去半个世纪中,现代音乐的理论与实践给我们留下的最大遗产是:使人们接受了这样的观念──音乐的世界如此广阔,以致于任何音响与音响结构方式都可以作为音乐的素材。这个观念它大大地拓宽了音乐的可能性,丰富了音乐的语言与素材,使作曲家的想象力获得了无限的空间。但它也存在着一个问题:使音响成为音乐作品的结构原则是什么?是否还存在着使音响与音乐艺术作品相区别的原则?在最近30多年的音乐创作实践中,显现出了一个明显的倾向──可听性增强。这一迹象表明,到本世纪的中期,人类对音乐音响可能性的探索已经告一段落,到了反省这一时期理论与实践成败得失的时候了。创作实践也似乎最终向人们证明了,音乐是为了听觉感性需要而存在的,音乐创作的根本目的是为了满足人类不断发展的听觉感性需要,而不是理性认识的需要;音乐艺术的最终价值在丰富人的听觉感性体验而不是理性认识的观念;作曲家哲学头脑的灵活不能代替声音感受与想象力的丰富及对音乐音响组织结构的驾驭能力。如果我们接受了这样的音乐艺术观念,那么就自然会得出这样的结论:思想与观念不能构成音乐音响的结构原则?不论作曲家的创作观念是什么,作曲手法(或音响设计)的原则是什么,是否具有精彩的听觉效果,成为其音乐作品艺术价值的决定性因素,成为鉴别它是需要我们继承的财富还是需要倒掉的垃圾的检验指标。每个人都会觉得一个仅仅由一句话的重复、叠加而合成的几十分钟的音乐是枯燥乏味的,而不管简约音乐的哲学思想是什么。人们已经不再满足于听作曲家大谈自己的创作观念,因为思想的深奥只能使哲学的头脑思索──那是哲学家的本职工作,而不能使真实的体验感动──创造出独一无二的精彩、感人的音乐才是作曲家在这个世界赖以生存的营生。

但自十二音作曲法诞生起至今,对于作曲技术,我们听到最多的是两种声音:一种是如何通过理性的构思设计一个音乐音响的形式结构,比如发明一个音列;另一种是用音乐表达一种观念,比如某种哲学的或艺术的思考。二种观念都使我们产生这样的印象:音乐创作的基本出发点不是音乐的音响本身的听觉价值,作曲家的成功来自于他是否能够想出一个别出心裁点子。但我们对此有两种怀疑:首先,那些现代音乐的大师也常常会违背自己创立的法则,比如勋伯格没有告诉我们,他出于什么考虑而在某些情况下违反自己创立的序列原则;其次,每个学过一点作曲的人都知道,仅仅设计出一个音列还远远不能构成一首音乐作品,尤其是使作品听上去精彩的根本原因常常没有包含在这些音列的设计中,而作曲家最初设计的音列往往反应不到听觉效果中来。这也就说明,使某些现代音乐作品成功的关键原因可能并不是作曲家理性设计的部分,还有相当多依据感性的原则进行的创作活动是现代音乐作曲家没有告诉我们的“秘密”。

二、音高控制问题:

从欧洲中古调式到中国、印度、阿拉伯等各国的民族民间音乐中,都能够使我们认清这样一个事实:大、小调体系并不是音乐结构的永恒原则。因此挣脱大、小调体系的束缚是音乐发展的必然,作为一种解放,它拓宽了音乐语言的天地。在丰富人的听觉感性样式,扩展审美空间,增加音乐表现力的道路上,我们对现代音乐的诸多努力予以充分的肯定。然而判断现代音乐探索成败的基本指标是──看它的追求是否以丰富人的听觉感性需要为目的。在这个指标下,我们能够发现现代音乐探索中脱离感性目的的成分──完全用理性的设计来结构音乐的音响。也正是在这一点上,这些先人的探索,成为后来者的前车之鉴。我们把它看作是艺术跌入理性至上主义泥潭的结果。对于这一点,我们要从序列音乐的产生谈起。

如果把晚期浪漫派的瓦格纳与印象派的德彪西作为浪漫主义之后音乐发展的两个重要线索,那么他们就分别代表着人类音乐审美需要自然发展的两个方向:解除音响张力与获得更高的音响张力。他们提供的新音乐语言是半音化和声与全音阶。半音化进行的最初目的大概仅仅是为了获得音乐进行的持久张力,而不至于由于和声的解决而使张力缓解。这种方法可以看做是从巴赫时代即有的持续的互为属主关系的进行(如:E-A-D-G-C)发展的自然结果。虽然半音化和声发展极端化的自然结果是音乐调性中心的模糊,但我认为,单纯的半音化进行还不足以导致调性解体。因为,调性解体的根本特征不是调中心的祛除,而是音与音之间功能倾向的丧失。古典音乐的基本结构原则在于功能倾向性,调中心仅仅是一系列倾向性的最终目的地。半音和声包含着强烈的功能倾向性,因此在没有最终的目的地的情况下,这种倾向性也足以构成音乐的结构力量。因此与以往的见解不同,我认为瓦格纳不能为调性解体负责。与半音化和声相反,全音阶的直接效果是取消了音列中不同音级间的倾向性,它要比过度使用半音进行对调性的瓦解作用更大。因此,我认为,印象派主义的审美追求对调性瓦解所负的责任要更大一些。但无论如何,按听觉审美心理需要的自然发展,是不会发展到调性结构体系瓦解的地步的,因为审美心理的自然需要决定了人需要一种结构的力量把音乐的音响组织起来,而调性正是这样一种人类在千百年音乐审美实践中发现的力量。调性的解体,一定是理性刻意追求的结果,是智力发明的产物。十二音的产生无疑具有明显的智力发明的色彩,而不是感性需要的特征。它的出现是理性介入音乐艺术发展而引起的音乐艺术道路改变的突然转折点,而不是审美的感性需要自然发展产生的必然结果。

我们从正反两方面来看待十二音解除调性体系结构的意义:

从正的方面看,首先它解决了调性体系瓦解后的音乐结构凝聚力的问题,因此它对音乐的结构是建设性的,而不仅仅是瓦解性的;其次,它既解决了调性体系僵化的张力结构──音列中每个音级的功能倾向性是固定死的,作曲家只能利用音列固有的倾向性,而不能自由控制音列各音间的张力;又防止了全音阶结构音级动力性张力的丧失──在十二音中音列的结构张力成为一种完全由作曲家控制的东西。在这种意义上,十二音无疑使音乐从调性体系的束缚中获得了解放,没有这种解放,就没有现在我们拥有的音响张力与密度的表现力,及音高进行的自由所获得的表现可能性。十二音发明的伟大之处在于,它不仅仅解放了音乐,而且同时提供了一种结构的控制力,而没有滑向使整个音乐组织解体的危险境地。虽然十二音技术具有高度的理性设计成分,但它同时具有非常好的听觉统一性。这是有听觉感性依据的。依据在于:一个音列与其倒影及逆行与逆行倒影之间的音程张力是相同或相似的(三度音程的逆行还是三度,而其倒影是六度,──一个音列的原型与其变体的音程张力相同)(温德清,1997)。这是我们目前能够为十二音这种理性构想出来的音乐结构原则寻找到的感性效果的依据。

从反方面来看,由严格的十二音所规定的原则违反了人类听知觉的自然属性:首先,对于人类听知觉的自然把握力来说,连续接受十二个不重复的不同音高太多了。由于没有一个音被重复与强调,使听觉没有记忆整个音响所需要的基点,这就使得十二音的音乐很难给人留下横向进行的清晰印象。其次,人类听知觉对音响把握的特点决定了,需要一个核心作为听知觉对音响结构把握的基础,而十二音恰恰要求在音列中每一个音不偏不倚的平等地位。现在看来,这两个要求都不是从审美感性的需要,而是从与传统相对抗的鲜明性需要出发提出来的。这也大概就是为什么经典十二音的这些原则很快就被放弃的原因。我认为,以一个具有核心音的有限音列为基础构成音乐,是人类本能层次上的听觉要求。这就是为什么不同民族的音乐中,一个相对独立的音响片段所使用的音列一般都在5-7个音左右(这与心理学关于人类短时记忆长度为7±2的研究结果恰恰吻合)。但十二音技法强行要求原始音列的每一个音在十二个音全部出现完之前不许重复。这种规定的审美感性依据是无法解释的。正是这个原因,决定了能够接受纯十二音音乐的听众面是非常有限的,十二音音乐很难记住,因为它不符合人类听觉认知的基本规律及听觉记忆的基本规律。 尽量从审美的感性体验角度,去分析这个二十世纪最重要的音乐构成方法,是因为,我们看到了一个也许是勋伯格始料不及的结果──从具有充分感性依据的十二音技术,人们推出了这样一个结论:可以完全靠理性的设计来把音乐的音响组织、结构起来。这个产物就是整体序列的东西。我认为,相信可以通过理性设计来驾驭音乐,是十二音最坏的“社会效果”。它打开了潘多拉的匣子,使音乐构成的想象力失去了听觉感性需要的制约。但在几十年的探索后,一个非常明显的事实是应该挑明了的:理性的设计逻辑不一定带来听觉上的结构感。这就是为什么,我们听到的许多音乐,虽然音乐结构的设计非常精妙而严谨,但音响效果听起来却是支离破碎、零散杂乱的。

理性设计做主导的音乐构成方法,确实可以弥补感性想象力、音响驾驭力及内心激情的才华不足,但用理性设计音乐的结构是一个危险的平衡木,稍有不慎就会使人坠入感性失落的泥潭。遗憾的是,人类没能避免坠入这个需要几十年才能走出的泥潭。整体序列主义的出现是理性至上导致感性失落的一个明证。正如我们完全可以用数学公式来构造一个音乐作品,但理性构思的严密不能保证听觉效果的完整。那种认为数学的严谨也能够带来音乐作品结构的严谨的想法是不切实际的。理性的光辉不能代替感性的力量,这应该是二十世纪音乐探索留给我们的教训。

其实序列音乐某些作品之所以好的真正原因,并不是由于它们是用序列方法写成的,并不是由于理性构想的精妙,而是在于它们恰恰同时也具有了良好的听觉感性效果,具有听觉上的震撼力与心灵上的撞击力。这些东西是不能通过序列设计来获得的。它们是怎样获得的,是大师们没有告诉我们的秘密。在这里我们所能够透露的就是:它们非是理性的而是感性的;它们非是设计的,而是体验与想象的;它们非是概念的,而是音响的。

三、节奏问题:

我们可以把欧洲古典音乐的经典节奏观概括为“时值均分”、“循环律动”。显然这不是音乐全部的节奏可能性。这一点从世界不同民族的音乐文化中是很容易看出来的。虽然“时值均分”、“循环律动”在合奏的发展过程中发挥了巨大的作用,但总的来说,古典音乐的节奏还不够丰富、多变,由其是时值均分、循环律动的特点大大的局限了音乐表现的可能性。因此现代音乐在节奏上对传统音乐的突破,是对音乐艺术的巨大贡献。它除了表现为丰富多彩、具有强劲动力性的节奏外,也产生了因消除机械律动感而具有的多变的绵延、连贯、跳跃、灵活的动态特征。这无疑大大地为拓宽音乐的表现力提供了丰富的材料。

但现代音乐在节奏的问题上也同样存在着理性至上的倾向──刻意的节奏设计已经超出了听觉的意义;为打破传统节奏的样式而打破常规节奏型已经超出了审美的需要。比如,整体序列中的时值控制,不一定能产生具有感性结构力量的节奏;比如,从听觉上看,许多现代音乐要求的节奏精确性,因超出了演奏控制与听觉感受的范围而丧失了审美上的意义;又比如刻意追求off set beats(错开拍上音)时,节奏的散乱就成为整个音乐作品结构散乱的祸根。因此,现代音乐的节奏本身也存在着因理性的控制而导致审美意义下降的现象。问题的关键在于,新型节奏或时值的追求,应该是出于听觉感性效果的需要而不是别的什么目的。

四、和声问题:

协和的概念本来就是文化的产物。这一点可以从民族音乐学的研究中得到启发。很多民族的“和声”(或说“音响”,比如中国琵琶古曲《十面埋伏》中的音响)对于在欧洲古典音乐中熏陶出来的耳朵来说是很现代的,并且也没有欧洲传统和声中的倾向与解决的要求。从另一方面讲,人也不仅仅需要和谐、融洽,还需要紧张与对比。协和使人产生松驰,不协和使人产生紧张。不协和的表现力就在于它具有协和所不具有的张力与紧张感。同时协和与不协和都是在互相参照下显露各自听觉性质的。没有协和作对比,不协和本身也会降低其应有的紧张性,从而使音乐本来能够使用的动力材料失去了应有的动力,许多十二音的作品听上去紧张度还不如调性音乐,也许就说明协和是在对比中产生的概念;没有不协和作对比,谐和也就没有了应有的纯净与松驰感。因此现代音乐在和声(也许应该叫“同时发响”simultaneity)方面探索的贡献在于,它向我们显示了和声的无限可能性及各种可能性的艺术表现力:从最纯的八度到将所有频率的音高放在一起鸣响──包括噪音。必须指出的是,我们重视的是艺术表现需要下的不谐和。因为有一个我们必须了解的人类听觉生理-心理上的事实──长时间、大力度、尖锐的不谐和,也会引起自然的听觉保护性反应──心理反应不再与音响的性质同步。虽然每个人对待不协和音响的适应能力不同,但总的来说是有限度的。而这个限度的范围,主要受感性期待的影响,即听众对不协和意义的理解──当前的音响在作品上下文中存在的意义与目的,比如是为了一种张力,一种达到某一状态前的能量蓄集等等。人们对自己能够理解其意义的不协和比不明意义的不协和有着更大的耐心。脱离了音乐表现的目的,缺少内在的表现性,而仅仅是为了打破传统的和声概念而不协和,是唤不起听众的耐心的。同样的不谐和可以被体验为音响的张力,也可以被体验为难听、刺耳,这完全取决于音乐作品是否具有内在的表现力。不协和是现代音乐特别显著的特点,但它并不独属于现代音乐。整个西方音乐发展的历史就是在对不协和的批评中渡过的。三、六度音曾被认为是非常不协和的,贝多芬的音乐被认为是非常刺激的,斯特拉文斯基的音乐是对“人类审美原则的无情践踏”……当我们遍览人类音乐发展的历程时,我们会惊呀地发现,现代音乐的不协和中,也能够透出协和的音响所无法具有的和谐,它拥有协和音响所无法获得的表现力。

五、音色问题:

从任何角度来看,欧洲古典音乐的音色,都是不够丰富的,各件乐器的音色融合性多于个性,这在为了乐器合奏的和声效果方面是必需的,但它必定不够丰富。音乐发展的整个历程都体现出音色不断丰富的历程。从乐队加入大量管乐,到大型乐队中大量加入打击乐器,乐队小型化,乐器组合个性化,乐器的使用打破民族界限,全人类的乐器甚至任何发响物都成为音乐可用的音色。现代音乐对音色使用的拓展,使音色的使用已经没有了限制。从常规乐器的超常规奏法,到非常规乐器的使用,任何声音都可以作为音乐的材料,这是先锋音乐家们留给后人的宝贵财富。

音色取代旋律与和声成为音乐创作关注的焦点,有音乐发展的必然性,但现代音乐存在着音色滥用的问题:重视音色的多样性,而忽略了音色的结合性。一个需要注意的问题是,音色本身是增加音乐丰富性的源泉,却不是增加作品结构力的材料。这是一对难以调和的矛盾。音乐的历史上,音色丰富的作品结构力下降,而结构严谨的作品常常在音色上是不丰富的。贝多芬的作品就是一个例子。过多音色的堆砌使得音乐作品音色庞杂、混乱。音色变化是音乐作品的重要动力因素,而音色滥用则凭白浪费了宝贵的音乐推动力,不仅使作品听上去杂乱,而且动力性下降。正如并不是彩色越多画越好一样,音色的滥用也成为现代音乐的创作脱离人的审美感受需要的表现。出于创新的需要,而不是出于心灵的需要使得某些现代音乐的音色使用具有华众取宠的色彩。这也是某些现代音乐作曲家头脑灵活而真情匮乏的表现。探索新音源的热情大于关注作品的结构力,成为现代音乐的一个比较普遍的现象。尤其一些青年作曲者在采用民族乐器的时候更是存在着由于音色滥用而导致作品结构零散的问题。因音色滥用而导致作品结构力差几乎成为我国年轻一代年轻作曲家的通病。

六、简约主义与偶然主义

特别提到这两个现代音乐的流派,是因为它们的基本追求是反艺术的。这是因为它们所追求的东西与“感性的有序性与丰富性是艺术的本质特征”(宋瑾,1998)这个人类艺术的共同追求背道而驰。简约主义违反了艺术感性丰富性的追求,偶然主义违反了艺术感性有序性的原则。

“不变”在音乐中也是一种动力性因素:从音乐心理学的规律来看,它是由于作用于人的求异心理而使人产生期待的张力。期待是一种动力,用唤起期待来获得音乐的动力,可以在使用很少音乐素材的情况下产生很大的张力,因此在音乐作品中作为局部的一种手法,它不失为一种有效的手段。但用简约手法构成整个音乐作品的审美价值是令人怀疑的。因为,在人的心理中存在着一种叫作“期待阈限”的规律──当某种心理状态持续一段时间后,人们自然地期待音乐的材料发生变化,这种期待随着音乐持续保持不变而越来越强烈,但当期待时间太长,超过某种限度时,听众就不再期待,心理张力全部自动释放,并停止对音乐的音响作进一步的反应,此时,听众已经实际上无法关注音乐作品的音响。音乐不能使人们听下去,无疑是创作的失败。因此简约主义作为一种审美的追求,是理性的目的凌驾于听觉感性需要之上的一种反艺术的表现。

现代音乐的发展可以大致分成两个方向。前面的所有作法都是向着力图控制音乐的结构努力,而另一个方向是却是背道而驰:向着更加自由的努力。偶然音乐就是这种自由发展到极端的产物。虽然我们不反对环境中充满了J.Cage概念中的音乐,也愿意接受提醒,在《4’33”》中样的“作品”所提供的环境中去注意被人们忽略了的环境中的丰富的声音的审美价值。但人类之所以创造音乐,必定还是因为环境中提供的声音不能满足人们听觉审美享受的需要,必定是因为人们还有很多心灵的感受、情感的体验需要用声音来表达,否则的话也就没有必要创造音乐了。艺术正是由于自然提供的感性材料不够理想才有存在的必要。艺术与非艺术的根本区别不在于其素材是什么,而在于如何把它们组织起来。良好的听觉感性样式是艺术与非艺术的根本区别。在偶然音乐中构成良好的感性样式纯属偶然。大多数情况下完全不加控制的音响的偶然组合不能构成良好的感性样式。所以在绝对偶然情况下产生的音响的审美价值是令人怀疑的。所有严肃的偶然音乐都要有一定的控制,只不过是控制什么、控制的程度如何而已。有这样的例子:作曲家在一首乐队作品的全曲最高潮处,标明让每个演奏者自由演奏,从而希望生成一种高密度的不谐和效果,但结果是,由于演奏者奏出的可能是自然音阶、传统和弦的分解、长单音、半音进行等,从而导致偶然碰撞合成的音响非但并没有产生作曲家期待的高密度的紧张性,反而是混乱而松垮的音响杂烩。比较好的作法是:对每件乐器演奏的音区、音符与节奏进行规定,使演奏者在规定的范围内自由演奏,从而在保证控制音响的密度与紧张度的情况下产生偶然性的效果。偶然音乐作为一种美学的追求,与它的实践并不是完全统一的──大部分偶然音乐都要对音乐的结构进行控制。这就是要保证音乐的样式不是完全“随机的”、“偶然的”。

问题在于为什么“简约化”与“偶然性”在现代音乐中成为一股如此大的潮流。我认为,除了自觉的音乐艺术哲学观方面的追求外,也不排除这种方法可以有效而“正当”地用聪明的头脑掩饰艺术想象力与音乐音响控制、驾驭力的不足,更可以弥补音乐创作真情冲动的匮乏。哲学观念追求不能成为艺术上投机取巧的幌子。艺术的根本目的是丰富人的感性体验,简约主义违反这一根本目的,也就是非艺术的;艺术与自然的根本区别在于它具有良好的感性样式,因此必然是有序的,偶然主义违反这一原则,也就必然是非艺术的。当然对于现代音乐材料过于复杂的现象,简约主义无疑是一种善意的提醒; “偶然”概念的提出的益处也许是使我们获得这样的反省:音乐的结构原则就存在于人的心中,而不是什么外在于人的客观标准制约着音乐的结构。但作为艺术品,它们的审美价值是不能肯定的,作为艺术观它们的追求是必须要加以否定的。

七、结语

由于历史的原因,音乐中的现代主义在中国晚了好几十年。以潘德列兹基为代表,六十年代以后西方音乐创作开始“回归”,无论是将这种潮流称之为“新浪漫主义”、“新调性主义”,还是“人性的回归”,总之音乐又开始为听觉的感性需要与生命的激情服务了。我们没有跳过解放与异化参半的现代音乐探索阶段。既不能跳过,也不应该跳过。因为没有对传统的突破,就不知道音乐艺术的自由;没有对音响可能性的极限探索,就没有今天丰富的音乐语言,也就自然没有当代音乐所拥有的表现力。现代音乐带给我们的财富是音乐的自由、想象力的自由与人性的自由;现代音乐留给我们的教训是,艺术的根本原则是满足人感性体验的需要,而不是满足理性认识的需要;检验音乐艺术价值的最高检察官是人的耳朵而不是哲学的观念;丰富、有序、心灵的激情与真实的情感是艺术永恒的魅力。

当我们冷静地思考与充分地感受了现代音乐之后,我们发现在现代音乐的遗产中,既有大量优秀、伟大的现代音乐作品,又有许多貌似深刻,实则散乱;貌似机巧,实则苍白;貌似新颖,实则贫乏;貌似热烈、宏大,实则虚张声势的音乐糟粕。一切缺少心灵真实性的作品,都会在用真情领会音乐的听众那里露出虚伪。为乐不可以为伪!信然!

对于某些现代音乐作曲家来说,音乐创作所关注的是产生一个别出心裁的好主意,而不是如何结结实实地把音乐的音响良好地组织起来,因为在这些作曲家的心中,音乐的目的是为了告知某种思想与观念,而音乐本身则仅仅是达到这一目的的手段。这其实与历史上的“机械反映论”并没有什么本质的区别。

关注头脑的灵活、想法的新鲜,而忽略音乐自身结构力量的探索,一方面使作曲家驾驭音乐音响的能力得不到应有的提高──我们从某些作曲家长年沉迷于各种花样与新想法,而没有在音乐的控制力上有所进步就可以看到这种艺术观对艺术家的不良影响;另一方面,它也使得创作活动更多地关注的不是自己心灵的真实感受与真诚的情感冲动,而是文化市场的口味。艺术创作的追求包含着商业“卖点”的判断,是现代音乐最大的不幸,也是对现代音乐自由、独立精神的背离。如果说现代音乐的根本精神在于心灵的自由,那么把这种自由当成文化商业的招牌就是现代音乐最大的不幸!

2004年10月03日

1: Macには自分の感覚がそのまま反映される

生活空間からうまれる響き、その中の個性が面白い

──ICレコーダで日常の音を取りためているということですが。

■細野:そうですね。いま、生の音が濃密に詰まったアルバムを作りたいんですけど、その時のために、いろいろ録音して素材を集めてます。レコーディングする場所もスタジオは嫌なんですよ。自分が生活する場所で録音したい。

──細野さんは『HOSONO HOUSE』(1973年)の時も御自宅で録音して作品を作られていましたね。

■細野:ええ。ただ、当時そういうことをするのは大プロジェクトだったんです。重くて大きい機材を家に運び込まなきゃいけないし、自分以外にもエンジニアやミュージシャンを呼ばないと作ることができなかった。結局、自宅とはいえプライベートな空間ではなくなるわけです。ところが、いまは一人ですべてできる。だから、当時考えていたようなことがようやく実現できるようになりましたね。部屋で録音したいという感覚は、音楽というよりも、自分の響きを取りたいってことなんですよ。響きの中にはその人の個性が入っている。それが一人一人違うから面白いんです。それは作り上げるものじゃなくて、自然に出てくるものだから、その人の生活している空間からじゃないと出てこない。

──そういう音を作るのに、Macは適してますか?

■細野:そうですね。これまでのレコーディングというのは、エンジニアの領分が非常に大きかったんですよ。自分のいろんなものをエンジニアに委ねなくてはいけないし、彼の感性を通して音が出てくるわけです。画家が塗る色を他人に決めてもらってるようなものですね。でもMacがあると、すべてが自分一人でできる。だからいまは本当に、絵を描くように音楽が作れるようになりましたね。色合いとか、風合いとか、そういう微妙なことがわかるようになってきたんです。

──すべてが一人でコントロールできるようになった。そこでMacをどう扱うか、というのも重要になってくるのでは?

■細野:コンピュータだとどんな音でも加工してねじ曲げてしまいがちなんだけど、そういうのは簡単だし、すぐに飽きちゃうんですよ。結局、ソフトウェアというのも一つの枠にしか過ぎないわけで、それを主人公にしてしまうと駄目ですね。機能に振り回されずに、自分で発見していったことを追いかけて、自分なりのやり方で作ればいいんです。いろいろと知らない方が面白いですよ。例えば、制作中にエラーが起こって変な音が鳴ったりする。そのエラーが好きになるんです(笑)。様々な制約やアクシデントの中で、一人一人の個性が出てくる。

──イベントでも言われてたように、その人の感性なり才能なりが重要になってくるということですね。

■細野:いまは楽器が弾けなくても音楽が作れてしまいますから、そういう人の中からとんでもない才能が出て来る可能性がある。実際、そういうことはもう起こってるんですよ。彼らは、僕たち音楽家にはできないようなことをやってしまう。それはもう育った環境が違うし、僕たちはちょっと苦労し過ぎて(笑)、いろんなことを知り過ぎてますからね。でも僕も、ミュージシャンであることを忘れて彼らのようにやってみたいというのはあります。

──今後、細野さん御自身はどのような方向性で音楽を作られて行くのでしょうか。また、音楽シーン全体はどのように変化していくと思いますか?

細野何かを捨てるってことはないですよね。必要だったらMIDIも使うだろうし、あんまり考えないでやってるだろうし……例えば、家でギターを弾いてデモを取ったりする。でもそのデモ自体が実は自分の音なんですよ。だから、それがCDになる場合もある。場合があるというか、本当はそうしたいんです。
いまは音楽ソフトってまだ取っ付きにくいところがあるけれど、今後はますます使いやすくなっていくと思う。Mac OS XやGarageBandならなおさら楽だし。その中で、音楽を知らない人達がどういうものを作るかって時代ですよね。究極的には音をCDに記録するということ自体も見直されると思うし、音楽のあり方はますます問われていくと思いますよ。それはアップルのテクノロジー次第ですね(笑)。

2: 生活空間からうまれる響き、その中の個性が面白い

Macには自分の感覚がそのまま反映される

Apple Store, Ginzaで行われたこのイベントは、主催である「サウンド&レコーディングマガジン」誌の編集長、國崎晋氏の司会のもと、細野氏とMacとの出会いの話から始まりました。80年代の終わりに「Performerが使いたくて」Macを入手した細野氏は、以降今日までずっとPerformer、そして進化版であるDigital Performerを使い続けているとのこと。「マニュアルを読まず、ずっと自己流でやってきた」というDigital Performerでの音楽制作やライヴ?パフォーマンスを実演していただきました。また、小型のICレコーダーで日常の様々な環境音を録音して、レコーディングに活かしているという裏話や、ご自分で編集されたというラジオ番組の音源も披露。時にユーモアを交えながら、「取り込んだ生活の音を自分の響きにしていきたい」という独自の音楽哲学を話していただきました。

インタビューは、イベントの内容を踏まえつつ、コンピュータについて、音楽について、より踏み込んだ話をたっぷりとうかがいました。

──今日のイベントではPowerBook G4を使われてましたね。

■細野:家にあるコンピュータはこのPowerBook G4だけです。音楽制作に限らず、いろんなことに四六時中使ってますね。スケジュールを管理したり、あるいはニュースを集めたり、DVDを見たり焼いたり。

──イベントでは、いくつかご自身で作られたQuickTimeムービーを流されてましたね。

■細野:ああいうものを作っては、発表するわけでもなく遊んでるんですよ。最近はGIFアニメにも凝ってます。自分で撮った写真を動かしたりね。Photoshopでいろいろレイアウトして、GIFに落として、独特な動きをさせる(笑)。

──音楽制作にはかなり早い時期からMacを導入されていたそうですが、他のコンピュータに対しては持てなかった愛着を、Macに対しては持てたそうですね。

■細野:それはやっぱり、自分の感覚がそのまま反映されるという特性がMacにあったからでしょうね。そういう点でMacは非常に音楽的なツールですよ。楽器と同じで、いじっているうちにだんだんわかってくる。おもちゃの延長線上で扱える訳です。だから、イメージさえあればなんとかなる。以前Swing Slowというユニットをやった時に、50年代的な音を再現したんですけど、これも感覚だけでできるものなんですよ。みんなに「これ、どうやって作ったの?」って聞かれたんだけど、ヴィンテージ?マイクを使ったりとか、そういう特別なことは何もしてなくて、耳とイメージだけを頼りに音を加工していったら作れた。だから、人には「気力だけで作ったんだよ」て言ってるんです(笑)。

──MacではずっとPerformer、Digital Performerを使っているということですが、その扱い方が変わってきたという話が印象的でした。シーケンサ独特の乗り(グルーヴ)を追求していた時代を経て、現在はレコーディング?システムとして捉えているということでしたが。

■細野:コンピュータを使い始めた頃というのは、自分の中のミュージシャンシップとコンピュータが生み出すリズムとの戦いがあったんです。機械独特のリズムが快感か、疲れちゃうか、というところで大きな分かれ道があった。例えば多くのドラマーは、あまりに正確なリズムにはもうこりごりだ、と言ってリタイアしていった。残ったのは僕と、(高橋)幸宏と、坂本(龍一)という少数派。そういう過渡期があったわけです。でも時代が過ぎて、音楽の捉え方が皆変わった。今は打ち込みのリズムなんてごく普通のことでしょう? そして、リアルタイムの生演奏をそのままコンピュータに取り込めるようになった。いまのDigital Performerがレコーダだっていうのはそういうことです。あくまで、音を貯めるためのステーションだと思ってるんですよ。
 だから最近は、コンピュータでの作業を追求した結果、逆に「普通の音楽」になってきてるものが多い。例えばいま、ギターと歌だけの「これフォークじゃない?」みたいな音楽がいっぱい出てきてる。でもそれは昔の音楽と同じものではなくて、コンピュータとの格闘を経て出てきた音楽なんです。そういう人は生楽器を持って、ベッドルームでMacを使ってレコーディングしている。そこで入ってくる様々な生活音がその人の個性になるんです。でも今の商業音楽は、みんな画一的な音でしょう。80年代以降、同じ機材を使って同じようなスタジオで、という制作スタイルが定着して、プロダクションの均質性が問われてきたけれど、そうじゃないものがいま出てきている。それがとても面白いんです。